青い夜更け

見果てぬ壮大な夢の終わり

キャラメルボックス「ゴールデンスランバー」観劇

2016-12-15 00:18:11 | 観劇


劇団キャラメルボックスの舞台「ゴールデンスランバー」を12月3日、新神戸オリエンタル劇場にて観劇してきました。
何たって「ニュートンの林檎」がオープニングテーマとくれば、観ておかずにはおれないと思いまして。

感想らしい感想は正直無いです(笑)
何しろ舞台の内容は「シーンの目まぐるしく変わる逃亡劇」なのですから。

物語を通して、観客にメッセージ的な何かを訴えかける、ようなものは皆無。
主人公青柳雅春が首相暗殺犯に仕立て上げられ、警察を追っ手からひたすら逃れる
というハリウッド映画さながらのアクションシーンに目が離せない展開。



原作の小説は、全体のシーン数が200くらいあるんですが、今回の芝居では、ギュッと凝縮させて、41にまで絞りました。つまり、すべての場面が全部見どころになっているんです。

脚本・演出の成井豊氏はインタビューでこのように述べられているように、目まぐるしい展開に釘付けでした。



で、「ニュートンの林檎」の劇中での使われ方に興味を引かれました。
序盤の、これから逃亡劇が始まるというところで、出演者がステージで曲に合わせてダンスするんです。

「何故ダンス?」と当初は戸惑ったものの、以後主人公の運命を示唆するものとしてオープニングテーマに使われたのかなと。あのダンスシーンを契機に物語は急展開していきます。

「抗えないものは権力」
青柳は国家権力に抗えず、ただ逃げまどうのみ。
「ニュートンの林檎」の世界観と少なからずリンクするように思います。





「上から見下ろすあの人達は」
3階席からパシャリ。


3 コメント

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コメントへの返信について (ふらふら)
2016-12-15 10:23:04
コメントへの返信は、平日お返し出来ないことがあろうかと思います。数日間お返事出来ずそのまま、ということもあるかもしれません。しかし随時コメントには目を通しております。土日までにはお返事致します。
これが本当の"グラヴィティ" (ネノメタル)
2016-12-26 11:30:58
どうも、神戸初日を観劇したネノメタルdeath!
物語に没頭している間は青柳を巡るめくるめく展開の数々にハラハラし、全ての伏線が一筋の光に導かれてまさに打ち上げ花火のようなエンディングを迎えるあの感じたるや、これまで小説・映画と様々な形で表現されてきた「あのワクワク感」そのもので、あれを真空パッケージで鮮度を損なわず舞台上で表現できたのはお見事、という他はありません。
まさに今回の「ゴールデンスランバー」は、伊坂ワールドの完全具現化だったと言っていいでしょう、良くも悪くも。
ただ、「悪くも」と書いたついでにちょっと辛口っぽいことを。本演目のセリフの中で一つ違和感のある浮いたセリフがありました。ズバリ「(あのアイドルと)ヤったのか?」というあのセリフ。私の知る限りではキャラメルボックス歴代公演でこの男女間の性行為を端的に表現するこのセリフを聞いたのはおそらく史上初。従来だったらせめて「付き合ってるのか」「キスをしたのか」ぐらいまで留めておいたはず。
この「ヤった」というセリフはあの小説内の感情移入できずに入れるあの伊坂ワールド特有のあの淡々とした登場人物間にも血が通っていることを暗示する為に成立するセリフであって、基本的に登場人物の熱量の高い演劇ではあのセリフだけが無重力であるかのようにフワッと浮いているようでした。という意味で「原作の再現」に頭でっかちになりすぎていてそこまで気を配れなかったのかも。
ただ、無重力と書いたついでに、あの万有引力の法則に逆らえないあの曲とのリンキングはお見事でした。
以上、ついで、ついでの「つな渡りコメント」でした、そうまるであの青柳のように。。。

ネノメタルさんへ (ふらふら)
2016-12-27 23:21:12
ありがとうございます。
「ゴールデンスランバー」の原作本は読んだことがなく、全く予備知識なしの状態での観劇でしたので、伊坂作品としてというよりは、エンターテイメント性の高い一つの舞台として楽しく観劇した次第です。

ですから原作との比較、またその具現化という点ではピンとこない部分はありますが、機会があればまた原作本を読んでみたいものです。
(と言いつつも時間が取れない日々が続いていますが泣)

キャラメルボックスの舞台というのは「ヤッた」という他愛ない台詞ですら違和感を覚えるものなのですね。純粋かつエンターテイメント志向が強い故でしょうか。

東京マハロは12月、「紅をさす」という舞台を上演しましたが、「性同一性障害」をテーマにしているらしいです。対照的だなと。

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