あおざかなの買物日記(goo版)
備忘録




(「現代日本の思想」岩波新書 80ページより)

鈴木三重吉は、唯美主義者、芸術至上主義者として出発した。子供の綴り方に関心をもったのも、その観点からであって、当時の一流作家の文章の水準をぬく、子供の表現のみずみずしさに心をうばわれたのである。だが、「赤い鳥」とともに十八年間を生活する中に、彼が綴り方にたいしてもつモノサシは、あざやかな脱皮をなしとげた。明治末年の唯美主義者、芸術至上主義者たちは、鈴木三重吉のみではなく永井荷風、木下杢太郎、谷崎潤一郎などにおけるように、芸術に関して妥協なき潔癖をたもつことによって、満州事変以後の戦争時代にも、ある一線以上に政治に屈服することなく生きた。この点、昭和時代に初登場した芸術至上主義者の諸流派(新感覚派、日本浪漫派)にくらべて骨格がしっかりしている。
 鈴木三重吉の仕事の集大成というべき「綴方読本」(1935年)の理論篇から、満州事変、上海事変をたてに、おしつけ的性格をとりもどしつつある文部省の教育方針に対して彼がどんな態度をとったか見よう。

(以下「読本」からの引用)


(略)「国旗」にしても、ただその観念をかくとしたら、けっきょく、だれにも共通的な或知識とか、共有の或感情、思念の記述以外に、新しいものが考え出せるわけのものでない以上、それは綴方の作品にはなり得ない。国旗について、或とき或地におこったことを実見した、特殊の事件ならばかき得られよう。
 事実はかける。概念、観念はかけない。かけても没個性的な、共有性のものに終わるのみで、作品としては何等の価もない。
 前に言った「児童文学の教壇実践」という本には次のような作品が賞揚されている。

   国旗(尋四、男)

 世界六十余国の国々にはそれぞれ其の国のしるしの旗があって、之を国旗といいます。我が大日本帝国の国旗は日の丸の旗です。
 日の丸の国旗が朝日にうつって威勢よくかがやいている有様は、ちょうど我が国の勢の盛んなのをあらわしているようです。祝日大祭日のようなお目出たい事がある時等に は我等日本人は国旗を立てて祝います。我が大日本帝国の商船、軍艦、飛行機等にも日の丸の旗をつけます。国旗は日の御旗とも言っております。我が国は支那の東にあるので「日の本」と言ったから太陽を形取って、我が国旗を日の丸としたそうです。
 去年オリムピック大会のとき織田選手の足がいたんだので、南部選手が織田選手にかわってあまりなれない三段跳に出て一等になり、マストの一番高いところに日の丸の国旗が立ったと言うお話をお父さんから聞いて、僕はうれしく飛びはねてよろこんだ。
 僕は一生懸命学問を勉強して立ぱな国民になって、世界のいたるところに我が国の国旗を立てるかくごです。

 私がこれを読んでの感銘は、こんなむつかしい課題を出して、子供に、これだけの苦しい記述をしぼり出させた残酷さそのもののみである。(引用終わり)


この批評は、先の章で見たマルクス主義の運動にたいしても、かなりよくあてはまる。
(「現代日本の思想」岩波新書85ページ)


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« [book]「現代日本... [CD]Mingus at Ca... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
規約に同意の上 コメント投稿を行ってください。
※文字化け等の原因になりますので、顔文字の利用はお控えください。
下記数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。この数字を読み取っていただくことで自動化されたプログラムによる投稿でないことを確認させていただいております。
数字4桁
 
この記事のトラックバック Ping-URL
 


ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません