黒田寛一が死んでいたことが明らかになったということについて何の感慨も抱かない。
ただ何らかの感情なりを抱かなければいけないのだろうか?という反省がなくもない。
その「死」にさらなる痛罵をあびせず、こんなことをいってることはだめになった証拠?
思っているのは「内ゲバ」本で、80年以降、死者は出ていないとされたことだ。
でも86年に死は確かに存在していた。
私にとって革マルとは、「国鉄の分割民営化には反対」という彼らが承服しがたい方針のもとにとどまろうとした労働者とその家族におぞましいばかりの嫌がらせ(以上のこと)をした奴らであり、86年にはそれとたたかおうとした人を殺した人たちだ。
黒田がそのことに責任をもっているのなら、たとえ死んだのだとしてもその責任を問うていくだろう。
ただ問題は86年の死をカウントしなかった人たちにもあるのでは?と(声音はちいさいかもだけど)いいたい。
私自身その場にはいあわせなかったけど、結果プラスだろうがマイナスだろうがそのほかの何であろうが決定的な一歩を踏み出そうと思ったのは、結局は「それ」があったからだった。
何の感慨も抱かないというのは、いまのところ「それ」と黒田のその時点での生との因果関係にリアリティを感じないからであり、黒田の死にその責任が解消されてしまうことにどうしても納得ができない、そんな感じをもってしまうことを否定出来ない感じだからなのである。
ただ何らかの感情なりを抱かなければいけないのだろうか?という反省がなくもない。
その「死」にさらなる痛罵をあびせず、こんなことをいってることはだめになった証拠?
思っているのは「内ゲバ」本で、80年以降、死者は出ていないとされたことだ。
でも86年に死は確かに存在していた。
私にとって革マルとは、「国鉄の分割民営化には反対」という彼らが承服しがたい方針のもとにとどまろうとした労働者とその家族におぞましいばかりの嫌がらせ(以上のこと)をした奴らであり、86年にはそれとたたかおうとした人を殺した人たちだ。
黒田がそのことに責任をもっているのなら、たとえ死んだのだとしてもその責任を問うていくだろう。
ただ問題は86年の死をカウントしなかった人たちにもあるのでは?と(声音はちいさいかもだけど)いいたい。
私自身その場にはいあわせなかったけど、結果プラスだろうがマイナスだろうがそのほかの何であろうが決定的な一歩を踏み出そうと思ったのは、結局は「それ」があったからだった。
何の感慨も抱かないというのは、いまのところ「それ」と黒田のその時点での生との因果関係にリアリティを感じないからであり、黒田の死にその責任が解消されてしまうことにどうしても納得ができない、そんな感じをもってしまうことを否定出来ない感じだからなのである。