若いころの留学先、スイスの首都ベルンを訪問。
6月中旬は21℃程になっていて、アルプスが暖かく迎えて呉れました。
チュリッヒ空港が3ー4倍に拡張されており、面食らうこと甚だし。
写真をクリックしますと拡大できます。お試しください。
(ベルン駅近くのシュピタル通り)
馴染みの駅近くのホテルに8連泊し、懐かしのベルン大学や旧宅を訪ね、世界遺産の
街を念入りに散策。この遺産地域には古い石作りの家が多く、補修して住み続け、アイン
シュタインが住んでいた辺りには、徳川家康時代の家が多いようです。
(名物時計塔、 右の議事堂裏の景観、 スイス連邦議会議事堂)
一日、ローザンヌから連絡船の客となり、レマン湖の碧い湖水、行き交う船・ヨットや港々
を眺め、久し振りに寛いだ気分に浸りつつ、国際都市ジュネーブへの 4時間を満喫。
(レマン湖の連絡船) (Einstein像と物理研で)
多くの方から「地震国日本が、どうして多数の原発を造ったのか?」と質問攻めに。
ベルンから10数kmの処に原発があり、福島原発事故以来、ベルン市民は言うに及ばず、
スイス国民の意識が変化し、ドイツ、イタリアと共に「原発ゼロ」へ。
ベルン大学生が、もう一度、国会前で「脱原発」デモをするなら、先輩として参加しようと
意気込みましたが、滞在中には有りませんでした。
もう一度来なければ・・・
(その一)
10月4日(火)久し振りの晴天。家族と共に、名神、湖西道路を経て
「びわ湖バレー」へ向かう。この湖西道路は無料の有難さで終点の志賀ICまで
快適に走り、インターを出て、山麓駅に到着。拡がるびわ湖エリアを眺めつつ
内見山・山頂駅に着く。将に快晴、澄み切った空気を通して湖と周辺の街の
パノラマがくっきりと眼下に。
東日本の被災地までもが見えるような気持ちに。
(その二)
8月26日、衆院特別委員会が福島第1原発の「操作手順書」の提出を
要求。提出されたものは殆どが黒塗り。 超唖然!!
(その三)
再三の要求で10月24日に提出。炉心の核燃料が損傷するような過酷
事故ーー炉心溶融に繋がる――対応の手順が不充分で、長時間の全電源喪失
を想定していなかったようで 驚愕! 誠に「ご安全な神(辛)話」。
被災地の早い復興、除染を・・・
「粟生団地は本当に安全な処ですね」という声を度々聞きます。
雨、風はもちろん、地震の被害は軽く、川の氾濫さえも危険度
は大きくなさそうな良い住宅地帯です。
しかし、 火災その他の災害はいつ起こるか分かりません。
10月9日に、市役所から来られて、防災のお話がありました。
防災の学習、訓練なども指導・支援して頂け、防災グッズを貸与されるとのこと。
それには 先ず、自治会などでの自主防災組織の立ち上げが必要だそうです。
インターネットを学び、これからの楽しみを増やし、また、粟生第2住宅のホームページを見ることにより、
団地内の情報を知り、コミュニケーションの向上の一助になればと願って、ホームページ入門講座を
開催いたす準備を進めております。