アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

上岡敏之に感服!

2016-10-19 10:00:00 | 音楽/芸術

先週末は、上岡敏之の演奏会に出向いてきた。

今月に入ってから、演奏会シーズンたけなわということもあり、毎日のように魅力的なコンサートが目白押し。アントンKも毎週のように会場に足を運び、ここぞとばかり音楽を堪能している。ここしばらくが自分にとっての音楽週間となるが、長年数々のコンサートに触れていると、そのほとんどが悲しいかな消えていくもので、心に突き刺さり、一生の宝のものとはならない。毎回、そんな宝物が増えていったら支えきれなくなってしまうが、今までの経験を照らし合わせても、20回に1回ぐらいしか、その手の演奏会には出会えないと思う。だからこそ、貴重な体験であり、至福の時な訳だが、今回の上岡敏之のベートーヴェンプログラムが、まさにそんな演奏会だったのだ。

上岡敏之のことは、以前にもここで記事にしている。それは、昨年読響での第九演奏会の時の印象が強烈であったからだが、今回もその流れをさらに推し進めたような演奏が展開されていた。全てベートーヴェンのプログラムが並び、コリオラン序曲、ヴァイオリンコンチェルト、そして交響曲第5番ハ短調と続く。アントンKがこういうプログラムを聴くのも随分と久しい。朝比奈時代には、当然のように日常のプログラムであったが、その時代からもかなり時間が経ってしまった。

昨年の第九の演奏内容から、アントンKも今回のベートーヴェンは、今までとは違った、かつて経験のない演奏だろうとは考えて会場に向かったが、最初のコリオラン序曲からその思いをはるかに超えていくものだった。まず冒頭の和音が、通常はフォルテで出るが、フェードインしていくように滑り込むように演奏し、終わりに大きなアクセントを付け強調。その後の主部でも、フォルツァンドの強調が多用され、ほんの10分足らずの楽曲が大曲を聴き終えたような緊張と安堵感に包まれた。それとは対照的に第2テーマの歌いつくされた表現は、この短い楽曲の中でも心のよりどころとなる。この動と静、明と暗と言うべきか、この対比が上岡のドライブする速いテンポ感の中に散りばめられて、極度の緊張をあおられてしまったのである。そして全身全霊で指揮する上岡の指揮振りに魂が引きずられ、のみ込まれそうになるのがわかった。弦のピッチカートで静かに楽曲が幕を閉じた時、我に帰り、心が開放されたが、すでにここまででかなりのエネルギーが吸い取られてしまった感じがしていた。

続くヴァイオリン協奏曲は、ここでは書き切れないので別稿とさせて頂き、メインの交響曲第5番ハ短調を先に記しておく。ここでは、コリオランをさらに開放したような表現で、冒頭の運命の動機の間のフェルマータはない。まるで一筆書きのごとく一気に進み、2回目でようやくフェルマータが現れる。が、ほとんど雪崩れ込むように主部へと高速で進行していく。この第1楽章は、一般的な演奏よりも高速進行だが、指揮者とオーケストラとの極度とも思える緊張と集中が聴衆へも伝わり、息を飲む演奏となっていた。こんな一点集中のような演奏だから、しまいには高速とか低速とかいう外面的な概念は消え去り、目の前に作曲者ベートーヴェンが姿を現したがごとく日常から遠くに連れて行かれる感覚に陥った。それほど精神性の高い演奏だとも言えるだろうか。

上岡敏之の演奏は、昨年の第九の時もそう感じたが、全奏でフォルテになった時、金管楽器などの主題を明確に出さず、どちらかというと、柔らかくぼかして表現し、オケ全体で音量を上げて行くタイプの演奏。だからか、なおさら聴衆に対しても緊張感をあおられる訳だ。最初アントンKは、この表現に戸惑いがあったが、朝比奈隆もそうであったように、これが上岡の音として認知したら、あとは自分が溶け込んでいくのは早かった。安心して身を音楽の中に置くことができる。そんな感覚なのである。

上岡のこういった演奏だから、第3楽章から第4楽章へ移行して行く際の、見栄や溜めなどはなく、ほとんどストレートにフィナーレへと突入する。Tpの突出した主題強調もなく、柔らかく暖かい、しかし大きく雄大で自信に満ちた音楽。何て的を得た音楽表現なのだろうか。コーダに向かうに連れて、音楽が熱く高揚していくと、指揮者上岡は、オケを益々あおりまくり、オケ全体で音がずれてくるが、まるでそれを楽しんでいるかのように、またそれを好んでやっているかように上岡は動じなかった。そのスリリングな表現と、圧倒的な集中力は、20世紀の数々の名演を彷彿とさせ、この時点でアントンKは、無意識なのだが息が出来ないくらい集中して聴いていたことが、ずっと後からわかったくらいだ。それだけ上岡の「気」が我々聴衆を吸い込んでいたのだろう。これは凄いことだ。

コーダでの連続する和音でも、前進するパッションが聴衆に飛び散っていたが、最後の和音のみ大きくフェルマータを掛けて懐かしむ。この和音がホールから消えていった時、暖かい拍手が湧いたが、ここまで指揮者とオケ、そして聴衆との一体感を感じた演奏会は珍しいのではないか。

最近はやりのSNSなどで、「上岡の演奏は変態だ。」などという書き込みを目にすることがある。おそらく万人受けの最大公約数的な演奏を好む若者だとは思うが、そもそも芸術なんて万人受けはしない。芸術的衝動の演奏であればあるほど、賛否は分かれて当然なのだ。但しこの手の演奏は、やはり会場に足を運んでこそ真実を得ることができる典型的な演奏であり、決して録音では伝わらないはずだ。この日もマイクがあちらこちらに立っていたが、果たしてどこまで伝わるのか。

アントンKは、何でも効率ばかり優先し、それが正義とばかり利益優先で物事が進むこの時代に、こういった極度に独自性の強い演奏表現をする上岡敏之の独断と勇気にエールを送りたい。少なくとも、先々週聴いた指揮者とは、どこか「志」が違うように思えてならないのである。今回は、新日本フィルの新しいルビーというアフタヌーンコンサートシリーズの第1回の演奏会だった。先月から、この新日本フィルの音楽監督に就任した上岡だが、そのシリーズ一発目でこの内容だから、今後も大いに期待ができるというものだ。

終演後、少しだけ指揮者上岡氏とコンマスである崔文洙氏と話す機会があった。あれだけの熱演を演じていたお二人だが、アントンKの目の前にいる二人は、舞台上とは全く別人でとてもフランクに話され、大変親近感をそそられる方々だったのである。次回はブルックナーをとリクエストすると、来年第3を演奏するとのこと。今から楽しみで仕方がない。アントンKとも同年代のお二人だが、演奏を含めて大いに勇気づけられた一日だったのである。

2016-10 RUBY(アフタヌーンコンサートシリーズ)

ベートーヴェン

序曲「コリオラン」OP62

ヴァイオリン協奏曲 ニ長調OP61

交響曲第5番 ハ短調「運命」 OP67

(アンコール)

モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」序曲

上岡 敏之 指揮

新日本フィルハーモニー交響楽団

崔 文洙 (Vn)

すみだトリフォニーホール

 

 



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