至福の日々

日々の哲学

1

2016-12-24 17:21:34 | 哲学
 考えられる限りのことを考えていた。それはたとえどこかに行き着かなくても良い。ただその考えるということのみに執着することが既に行き着くところであると知り、そしてその行為そのものの中に没頭することが僕の生きがいだった。
 しかしそれは既に述べたように執着である。もちろん、執着が悪いというわけではない。この世に悪いものなどない。だから、執着を悪いと思うことが、そこに悪を見出そうとする試みなのである。従って、そこに悪は見い出せないということが、その疑問への答えである。しかし、時に執着は苦しみを生む。何故か。それは失うことへの恐れである。その恐れが、その恐れ自体が苦しみであるのだ。
 この世には美文というものがある。それはそれ自体が美しいのではなく、それを読む人の心が美しくなるのである。その様な文章はこの世に沢山ある。
 そのような文章を読むとき私の心の琴線が奏でられる。それは先程も述べた、失うことの恐れの全く介在しない音楽である。そのような心持ちで本を読むとき、私は至福に満たされ、永遠の今を生きる。これが、私の考えるという行為である。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
   | トップ | 3 »

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

哲学」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。