至福の日々

日々の哲学

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2016-12-24 17:41:17 | 哲学
 最初に述べたように、この文章を読むということ自体が既に行き着くところであるのである。なぜなら、このような文章に込められて真意を汲み取る力のある読者にとって、既に到達地点に着いているのであるから。それを間違ってしまうと、情緒に縛られ真意を見失う。だから、関係性の中に潜在する関係を見定めてこその読解力が必要とされる。もちろん、読解力が必要とされるといっても、文章を理解するだけの力の事を言っているのではない。文章に込められた深奥を読み取る力があってこその読むという行為なのである。
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