至福の日々

日々の哲学

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2016-12-24 17:41:45 | 哲学
 記録がノートとして存在するとき、その記録はノートによって存在付られ、そのようなノートの存在によって記録の存在が印象づけられる。そのような場合、ノートの存在性いかんに関わらず、記録そのものとしての存在は思考によって存在させられる。しかし、ノートがない時の記録はそのものとしては不変ではないのであり、そのような意味ではノートあっての記録であり、普遍性を宿したものとしての記録はノートの存在に依存する。従って、何かに依存しなければならない場合その依存の対象が対象となり、その対象に向き合う存在が主人となる。
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