武者小路実篤著「友情」を読んで

2017-07-08 23:08:48 | 日記

随分と余裕のある小説だなと、読み終えてから感じた。余裕とは「考えている余裕」のことである。
この小説では野島の内面の描写がしつこいぐらいに書かれている。杉子の反応に一喜一憂し、都合のいい願いを神に願う姿は滑稽であるが、多かれ少なかれ、人はおおむねあんなものなのかもしれない。
そういう描写は同時に、そういったことばかり考え続けている余裕があるということだ。
その余裕は、同時代に生きた作家である夏目漱石が長編でたびたび用いた「高等遊民」をイメージさせる。
翻って、自分は余裕は持てているだろうかと思った。人情の機微を感じるような、季節の移り変わりを感じるような。余り持てていないように感じる。
あれもしなければ、これもしなければばかりではなく、たまには立ち止まってみたほうがいいのだろうという気がした。
ただ、この小説のラストは余り共感できない。野島はそのまま立ち直ったのだろうか。果たしてそんなに楽観的な終わりにしてよかったのだろうか。
その違和感も何かを感じさせるという意味では、それもまた十分な効果を示しているのかもしれない。

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