グランマのつれづれ

日々の思い、感じることを言の葉にのせて~

建築家・村野藤吾の世界

2017-06-19 17:41:45 | お出かけ

南区の比治山公園内にある 広島市現代美術館  
”めいぷるーぷバス”(ひろしま観光ループバス)を利用していってきました。

村野藤吾の建築  世界平和記念聖堂を起点に 
                7月9日まで 村野藤吾氏の建築の神髄に触れることができます

 

 
                          設計図からの忠実な模型は感嘆の一言・・現存をみたい!

 村野氏は戦前戦後を通じて関西で活動、300を超える建築を全国各地に手がける。
同じく重要文化財である宇部市渡辺翁記念館、大阪市の大阪新歌舞伎座(現存せず)、
東京都千代田区の日本生命日比谷ビル(日生劇場)など・・・大きな建物から個人のお宅まで
個性豊かなこだわりを拝見できる。氏は”角”がお嫌いだったそうで、直線的な建物にもフォルムやデザインに
どこかに曲線が入り(例えば窓、屋根)柔らかな温かみがかんじられる。

人々の「心に触れるもの」を常に追求 — 村野氏の思想のあらわれ(ヒューマニズムの追求)だった。

展示の模型作品には、実際の建物の写真もあり、見比べて観るといっそう楽しくなり、時間を忘れる。
晩年には設計の建物が自然の一部というような構想になり、箱根樹木園休憩所(1971)、谷村美術館(1983)新潟県糸魚川市
など実際に行ってみ
たいなーと思いました。

今回のメインである「世界平和記念聖堂」のすべて

1945年8月6日、当時主任司祭であったドイツ人フーゴ・ラサール神父は、自らも被災した幟町に
原爆犠牲者の慰霊と世界平和のための聖堂建設を決意される。
1946年、ラサール神父はイエズス会総会のためローマに出発。ローマ法王ピオ12世から聖堂建設への
支援と祝福を得る。その後、神父は支援を募るために、ヨーロッパ、アメリカ、ブラジル、アルゼンチン等行脚。
帰国後すぐに聖堂建設の準備にかかる。
1948年、建設設計のコンペティショがあったが、一位がなく二位、三位・・・
募集規定には、「 ・・・ 以上のモダン、日本的、宗教的、記念的という要求を調和させる事が
        この競技設計の主眼である」とうたってあった。
最終的には、ラサール神父、関係者の要望で、審査員のメンバーであった村野藤吾氏に設計が委ねられることになった。

そのいきさつから、村野氏が奮闘することになった。
たくさんの検討案、設計図から試行錯誤の課程、思想などがかいま見られる。

戦後まもなくの建設で数々のご苦労があったようです。資材も乏しく、多くは建設現場で作られた。
全世界からの善意に支えられた建物、平和を祈るための荘厳な雰囲気、日本的な要素も取り入れる。
例えば、照明のデザインは蓮の花をモチーフ ステンドグラスの色彩は控えめ(細部まで要望があった)

結果的に、和と洋の絶妙な融合で祈りの場として落ち着いた雰囲気を出している。

実際に幟町の世界平和記念聖堂は、でこぼこのコンクリートタイルと枠の直線、梅型モチーフの採光窓など
極めて目を引く存在感ある建物です。聖堂正面下部の欄間型格子は、旧約聖書の「七つの秘跡」をかたどる。
                                ( 彫刻家圓鍔勝三と坂上政克が現場で制作 )

 ←入場券(梅型採光窓をデザインに)

丘の上から入る美術館は、エントランスフロアーの展示室から階段で地下展示室に下りる構造になっている

 

 

 

美術館裏手に”めいぷるーぷバス”の停留所がある—15分で広島駅新幹線口着

 

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