グランマのつれづれ

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不戦という思想

2017-06-22 16:11:09 | 日記

中国新聞・潮流より
         ヒロシマ平和メディアセンター 岩崎誠氏の記事を引用させていただく

 <不戦という思想>
    
先週亡くなった元沖縄県知事の大田昌秀さんに東京で会ったのは10年前になる。
     米軍再編の深層を追う取材を重ねていたころ。岩国の基地機能が強化される背景を、
     元沖縄県知事の証言から探りたいと思ったのだ。3時間を超すインタビューになった。
     熱弁は岩国にとどまらず、沖縄戦や基地の歴史に広がっていく。
     その中で本人の信条がにじむ逸話を聞けた。知事として最後の年の1998年のことだ。
     日米が返還で合意しても移転先が決まらない米軍普天間飛行場(宜野湾市)。
     岩国に移せという声が県幹部から出たそうだ。
     しかし太田さんは「沖縄の苦しみを本土に移しても問題は解決しない」と一言で退けたという。
     目先の負担のたらい回しで禍根を残すより、事の本質を見据える。

     その政治姿勢は、ある意味では知事として手がけた「平和の礎」とも相通じていた気がする。
     敵も味方も軍も民も関係なく沖縄戦の犠牲者の名前を刻み、戦争のない世を祈念する―。
     つまり戦争という絶対悪を直視する思想といえるだろう。

     大田さんは晩年、講演の締めくくりで沖縄の話から離れることもあった。
     長崎の被爆医師、永井隆博士が病床で書いた「いとし子よ」をよく朗読したと聞く。
     原爆で母を失い、やがて父も失うであろう愛児2人に宛てた一文。
     
平和憲法を守り、どんな罵りを受けても「戦争絶対反対」を叫び続けよと、
     わが子に求めた永井博士の遺言である。

     「愛の世界に敵はない。敵がなければ戦争も起こらないのだよ」
     原子野からの切なる叫びは、沖縄の戦場を生き延びた大田さんがたどりついた
     平和の礎の思想とも、確かに重なり合う。
     広島・長崎と沖縄が手を携えたい。よく聞く言葉だが、現実はどうだろう。
     私たちは地上戦の惨禍がもたらした基地の島の不戦の誓いに、次第に鈍感になってはいないか。
    あすは沖縄の慰霊の日。 

 

 

大田昌秀氏は今月12日に、92歳でなくなられました。知事在任中に「平和の礎」を建てる。
「平和の礎」・・激戦の地となった糸満市摩文仁に、敵味方を問わず全戦没者20万人以上の名前を刻む

大田昌秀  1925年生まれ
       琉球大学法文学部教授 ・ 名誉教授
       1990年から 県知事2期8年
       2001年から 参院議員1期

  著書 「沖縄のこころ」
     「これが沖縄戦だ」

沖縄の平和運動を語るうえであまりに大きな存在だった。
昨年3月~6月にかけて約10時間のインタビューをおこなった(聞き手:鈴木美穂 毎日新聞)
   「守るべきは弱い存在、国が相手でも立ち向かう・・・
    知事を3期務められていたら、基地問題はもう少し前進できていたかも・・
    僕は結局潰された。こんな国ですよ。
    僕は日本に民主主義があるなんて全然、思わない・・・」 (大田氏の無念さが響くー)

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