社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

浦田昌計「アッヘンワルの経済思想と経済統計-アッヘンワルの統計学の課題と内容」(Ⅱ)」『法経学会雑誌』第13巻2号, 1963年9月

2016-10-16 22:04:39 | 4-2.統計学史(大陸派)
浦田昌計「アッヘンワルの経済思想と経済統計-アッヘンワルの統計学の課題と内容」(Ⅱ)」『法経学会雑誌』(岡山大学)13巻2号, 1963年9月(『初期社会統計思想研究(第4章)』御茶の水書房, 1987年)

 アッヘンワル(1719­72)の経済思想, 経済観について書かれた論文。ある人物の経済思想について理解するには時代背景が重要である。経済思想は, よくも悪くも時代の制約を受ける。以下は, この浦田論文のまとめである。

 アッヘンワルが生きた時代は, 18世紀中葉のドイツ。経済問題が政治問題の中心的位置を占めた。といっても資本制生産の進展は, この国では, イギリスよりも, フランスよりも遅れていて, 商品生産の進展がようやくみられる程度であり, 都市の市民階級に気力はなく, いまだ群小の封建領主が割拠していた。講じられた経済政策は重商主義のそれ(営業統制などの保護主義的政策)であった。

 アッヘンワルの経済思想は直接ドイツを論じていないが, 時代の反映は濃厚である。そして, 経済問題に関心を持ち始めたのは, 比較的晩年である。筆者はまず, 『政治学』からアッヘンワルの経済思想を読み取ろうとしている。アッヘンワルの考えによると, 広義の経済は市民の一般的福祉と国家の内的強さが依存する基本的な柱である。必要なのは, 新しい経済原則と制度の登場と古い制度の改革である。「新しい経済原則と制度」とは生業制度であり, その発展こそが商品生産と貨幣経済の発展をもたらし, 外国貿易を一般化する。この生業制度は生活の必需品の生産と便宜品である物的財貨の生産・供給によって成り立つ。また生産者の剰余にも目を向けなければならない。なぜなら, それは商品経済の発展と貨幣的富の成立に寄与し, 職業の種類と生計の機会を増やし, さらに人口の増大と道徳・科学の発達を促すからである。

 アッヘンワルは特に貨幣に富の現実的姿をみ, それに富の拡大の契機をみた。貨幣は「いままで知られなかった富」であり, 商品交換を媒介する担い手であると同時に, 蓄蔵の普遍的手段である。とくに外国貿易のもとでは, 貨幣の増加は近隣諸国に比較した国家の諸力を増加させる手段であり, その意味で「相対的な富」に他ならない。

 アッヘンワルはまた, 曖昧な形であるが, 国民所得概念にも言及している。すなわち「全国土から, そして国の全市民の勤労によって全体として獲得されたものは, 国の所得をなす。この所得のうち消費されないものは国富あるいは国家の一般的財産を増加させる」。ここで言う, 「国の所得」あるいは「国民所得」が「必需品と便宜品の十分なたくわえ」である。

 以上をベースに, アッヘンワルは, 所得を獲得する基礎が土地と人間の勤勉にあるとし, これらを「国家の基本財産」とみなした。この勤勉は, 農業, 手工業, 商業にあらわれ, 農工商の三種の営業のバランスのとれた関係に理想をみる。なかでも商業への期待が大きく, 商業には有利な販売つまり消費が必要と説く。消費には国内消費と国外消費(輸出)が想定されているが, アッヘンワルにあっては, 外国市場がなくても経済発展が可能とみる点に特徴がある。他方, アッヘンワルには, 蓄積と再生産への言及もある。上述の国民所得の蓄積部分の投資の必要性, また備蓄財産, 新しい基本財産(土地と人間の勤労の増加部分)の最善の利用, 収益のための経済過程への投入の必要性への言及がそれである。

 アッヘンワルの経済観には, 今日の経済学の概念でいう, 国民所得, 物的生産=富, 蓄積と拡大再生産の要素が萌芽的にみられる。しかし, その内容は曖昧であり, 未熟であり, 体系性も一貫性もなかった。筆者はこれらの弱点について触れつつ, さらに分配の概念が全くないこと, 労賃と利潤の区別も不明瞭であること, 価値論も剰余価値論もないので再生産(経済循環)論と呼べるものはなく, 当然, 地代, 利子について論じるまでにいたっていないと, 結論付けている。

 次に, 筆者はアッヘンワルの政策論を考察している。ここで筆者は, 政策命題を列挙し, それらの目標が「国民の富の増大」にあるとしていることに注目し, そこに2つの規準を見る。第一の規準は外国に対する自立と経済の安定であり, 第二の規準は有利な外国貿易による富の増加である。これは, 貿易差額による貨幣の増加に価値をもとめる貿易差額主義の考え方である。この理論によって, アッヘンワルは先に触れた重商主義政策政策を唱えるが, その中身は貿易規制にたいしては消極的姿勢に終始し, 差額の獲得の基礎を何よりも国内の勤勉の促進であると強調した(国内産業の促進)。その機動力は, 商業であり, ここから商業政策と流通機構の整備(さらには商法ないし司法制度, 貨幣制度, 信用制度, 運輸制度の整備), そして商業の自由を重要視する主張につながっていく(しかし, 最終的, 絶対主義国家による産業規制と直接的な営業育成の必要性を否定できなかった)。

 アッヘンワルの経済思想は, 要するに, 領邦主義国家の経済行政の見地から, 重商主義経済思想家の学説を摂取して, まとめられた実際政策論であった。そこではヨーロッパにおける「マニュファクチュア」を基礎とした商品生産の発展, そして外国貿易の発展によって国民経済が世界経済に組み込まれた事実が国家の政治と国民の道徳をも左右する基本的な要因と把握された。その際の関心は, 国内商業の問題で, 流通過程ないし流通機構の問題におかれていた。農業制度については, 何の問題提起もなく, 関心の対象外であった。
 筆者はアッヘンワルの経済思想の考察を終えた後に, 次に彼の経済統計的観察の内容をみている。「政治学」との関係で言えば, そこでは経済発展が国民の福祉と国力の基礎であると一般的に論じられたのに対し, 「統計学」ではその視点から国民経済の観察を行うことである。「統計学」では, この観点にたって, 「土地」「マニュファクチュア」「商業」「貨幣制度」「財政」の項で国民経済が観察される。筆者によれば, そこに特徴として見られるのは, 各国の経済状態の観察で数量的指標の中心的位置に生産高と貿易高が置かれていること, これをもとに各国経済の評価の指標を「剰余バランス」「貿易バランス」で誘導していること, 実際には前者を後者に置き換えていることであった。この過程で国民の消費の問題は欠落し, 「剰余」の概念に含まれるはずの「蓄積」の観点も貿易バランスによる貨幣の増減の問題に解消され, 国富の増加は単に貨幣の増加に矮小化された。

 生産力および生産の社会制度についての観察では, 体系的な指標が用意されておらず, 記述は断片的である。基本的な要素である人口についても, 各産業従事者の数, 構成に関してもそうであった。農業制度および営業の制度的条件については, 「政治学」同様に, ほとんど問題視されていない。「政治学」で問題提起された, 国民所得の基礎(土地と労働), 産業部門間の関連ないし産業構成, そして営業に対する諸規制といった問題は, 「統計学」ではとりいれられなかった。
そうはいっても, 一つだけ言えることは, アッヘンワルの統計学が当時, 外国事情の紹介を通して, 間接的にドイツの政治的経済的後進性を自覚させるのに役立ったことである。筆者はそう書いている。
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