社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

森博美「わが国戦前期の統計基本法規」『統計法規と統計体系』法政大学出版局,1991年

2016-10-08 21:52:03 | 11.日本の統計・統計学
森博美「わが国戦前期の統計基本法規」『統計法規と統計体系』法政大学出版局,1991年

戦後,「統計法」(1947年3月)が公布されたことにより,これに先立つ関連の3つ法律(「国勢調査ニ関スル法律」「統計資料実地調査ニ関スル法律」「資源調査法」)が廃止された。本稿は,この3つの法律(以下,「統計三法」と略)の特徴を考察したものである。筆者の考察の内容を,以下に整理する。

「国勢調査ニ関スル法律」(明治35年 法律第49号)は,第1回国勢調査実施のために提案,制定された。条文は3つである。第一条では,国勢調査の実施周期(10年)と実施範囲(帝国版図内)が定められている。第二条は,調査の実施要綱である。第三条は,調査の実施時期の規定である。第二条に関わって,調査の範囲,方法,調査経費の国・地方の負担割合その他事項は,「命令」によるとされた。


国勢調査の実施そのものには,紆余曲折があった。1904年(明治38年)実施を目標としたものの,政府はいま一つ積極的でなく,予算の問題も絡んで,実際に実施の運びとなったのは,この法律が制定されて20年後の1920年(大正9年)であった。

 「統計資料実地調査ニ関スル法律」(大正11年 法律第52号)は,1920年(大正10年)10月に国勢院第一部に労働統計課が新設され,労働統計実地調査実施のための法律として翌年制定された。内容は5条からなる。第一条は2項構成で,第一項は政府の統計調査権限の規定,第二項は調査実施に関する関係法規の法的根拠となる基本法としての規定である。第二条は,調査により集められた個票の統計目的外使用を禁止した事項である。第三,四,五条は罰則規定で,調査従事者(守秘義務),調査対象(申告義務)および広い意味での調査の実施に関与する者が果たすべき責務の規定である。

筆者はこの法律が単に労働統計実地調査という個別調査に関する法規ではなく,政府統計全般にわたる普遍的な基本法規としての性格をもっていたのではないかと推測している。当時,政府統計調査一般の実施を規制する基本法規制定の要請があったこと,制定後の同法の運用を追跡すると,そのことを伺わせるからである。例えば,後者に関して,「統計資料実地調査ニ関スル法律」の第一条第一項は何度か改訂され,政府の調査権限の及ぶ範囲が「農業」「技術」にまで拡大された。また,1925年(大正14年)に実施された失業統計調査,1926年(大正15年)の家計調査は,この法令に準拠して実施された。

「資源調査法」(昭和4年 法律第53号)は,7つの条文から成る。第一条は2つの条項をもち,第一項では政府の調査権限が報告徴収権および申告命令権として規定され,第二項では資源調査の範囲,方法等が規定されている。第二条は「軍需工業動員法」第16条を手直しして盛り込まれた。この条文によって,調査員は実査時の立ち入り調査権および質問権限が法的に保証されることとなった。第三条は同法の適用除外を定めたもので,工業的発明や設備,特に主務大臣による指定を受けた秘密に属する事項が相当する。第四条から六条までは実査時の調査対象の申告義務の規定である。このうち第四条は申告義務者の規定である。第五,六条は調査対象の申告義務,その違反行為に対する罰則の規定である。最後の第七条は調査実施者の職責の規定である。「資源調査法」はこのように,「軍需調査令」の適用範囲を拡大し,それを法律として昇格させたものである。

 筆者はここで,「統計資料実地調査ニ関スル法律」と「資源調査法」の第一条第一項を対比し,後者では前者に含まれていた論理,「すなわち調査対象に申告義務を課す代わりに調査実施機関には統計資料の目的外使用と調査従事者の守秘義務を課すことにより調査の尽日性を確保するという視点,いいかえれば,調査対象の協力に基づく調査精度の確保という視点が完全に退き,強力な罰則規定によって補強された臨戦体制下の強権的な統計作成という要素が前面に出ている」と指摘している(p.14)。重要な指摘である。

 「統計三法」の内容と性格づけを終えて,筆者は次に1942年(昭和17年)に統計局から企画院に送付された「統計法案」の分析に入っている。この法案は,当時あった統計機構改革の一環として,一元的統計行政を目指して発案されたる。筆者はここで,発案の背景に「統計資料実地調査ニ関スル法律」が統計一元化の最大の障害になっているとの認識が関係者のなかにあり,これを克服するものとして構想されたとする。そして,統計法案の要点を5つにまとめ(統計調査の意義・内容の明確化,統計に関する唯一の根本法の制定,民間等が実施する各種調査の統制,国家全体の統計の体系化,民間統計資料の開放的利用),それらが「統計法」の条文にどのように具体化されたかを,条文ごとに検証している。すなわち条文では,統計が事物の数量的状況を闡明する目的をもって多数の人に申告を徴する調査と規定され(第一条),統計法が調査実施の基本法と定められ(第二条),地方自治体,民間に調査の認可,届出,報告が義務付けられ(第三条),統計体系の整備と有効利用が第六条,第十条に配置され,個人や法人など民間が保有する統計の提示命令権が規定された(第八条)。法案は他にも罰則規定(第十一条から第十四条)などが盛り込まれていた。筆者は検証を結んで,「17年の『統計法案』は,『統計三法』に比べ著しく統制色の強いものであることがわかる」と書いている(p.21)。

本稿を閉じるにあたって筆者は論文の全体を総括しつつ,統計調整機関として期待され,原敬首相の下に設置された1920年(大正9年)中央統計委員会の活動に言及している。実際には中央統計委員会は,当初の期待に応えられず,1940年(昭和15年)に廃止された。暗殺された原敬の遺志をついで統計改革の必要性を自覚し,その大仕事にとりかかったのは,内閣統計局長川島孝彦だった。統計法案における統計調整条項は,まさにその川島の意図によって設けられた。
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