社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

是永純弘「計量経済学における方法論争について」『統計学』第7号,1958年11月

2016-10-18 14:09:44 | 12-2.社会科学方法論(計量経済学)
是永純弘「計量経済学における方法論争について」『統計学』第7号,1958年11月

 本稿の課題は,The Review of Econometrics and Statistics 誌上で行われた計量経済学の方法,とくに数学的方法の利用に関する論争を紹介し,論評することである。

 第一次論争は,1947-49年にかけ,同誌の第29巻,第31巻で,コールズ委員会のT.C.Koopmans と制度学派的見地にたつ R.Vining との間でなされた。主要論点は計量経済学の基礎概念の吟味とこれに対する数学的方法の可否の検討である。第二次論争は,1954-55年の2年にわたり同誌の第36巻と第37巻で,D.Novik, S.Enke, L.Klein との間で行われた数学的方法適用の限界とその乱用または過信がもたらす危険性にかかわる論争である。論争当時は,計量経済学が脚光をあびていた時代であるが,ここで筆者によって紹介されたThe Review of Econometrics and Statistics 誌上の論争は,計量経済学が真に科学的理論なのか,この問題に計量経済学者自身がどのように考えていたのかを知るのに有用な文献である,という。

 論稿の構成は,第一次と第二次論争を,それぞれ対立点を明確にクローズアップし, 最後の筆者の論評を示す形式をとっている。

 第一次論争はA.F.Bruns, W.C.Mitchell の共著 ”Measuring Business Cycle (National Bureau of Economic Research, Studies in Business Cycle, No.2, 1946)に対するKoopmansの批判に端を発し,これに対してR..Viningが反批判を行い,次いで,KoopmansとViningが応酬しあうというものであった。Koopmans のBruns, Mitchellの著作に対する批判の内容は次の2点に集約できる。

 第一に,KoopmansはA.F.Bruns, W.C.Mitchell の著作に理論模型が欠け,膨大な統計の単なる集積に終わり,新たな知見はもとより,景気予測ができていないと難じた。その致命的欠陥は経済理論の概念および仮説を観察と測定の手続きの一部として利用していないこと,現象の性質についての理論的予備概念がないこととしている。そのうえで,Koopmansは自らの理論模型として「経済行為者(消費者,労働者,企業家,商人)の活動分析」によって導き出すことを要求したのであるが,この理論模型は,「個人の行為の観察結果」であり,あらゆる観察,調査に先立って「重要な経済変量をそれと同級の『構造』方程式の同時的体系」として定式化される特徴をもつものとされた。さらに,この方程式体系は,経済変動の背後にあり,それを規定しているものと考えられた。

 第二に,Koopmansによれば,著作ではパラメータの統計的推定とネイマン・ピアソン流の統計的仮説検定の理論が利用されていない。動態的経済学では作用する要因が多いので,ここでの現象はストカスティックな過程として扱わなければならないが(すなわち「統計資料」における偶然的変動を数理統計学によって処理し,経済変量の同時確率分布の型を決定しなければならない),Bruns, Mitchellの著作はそれを怠っている。

 これに対しR.Viningは,Koopmansのいわゆる模型が経済の現実を反映していないこと,また数理統計学の理論が社会科学一般にとって必要な研究道具でないこと,むしろ場合によっては不必要,有害でさえあることを明らかにしている。Koopmansの理論模型は,模型が分析の単位として個別的経済行為者を想定するが,一国あるいは国際的な景気変動の研究において,その実在の運動を経済行為者という単位の総和として扱うことはできない。また,この模型は一つの方程式体系として示されたが,Viningによれば,こうした自律的関係を仮定する理論模型の作成は無理であり,将来実証研究が進んでも理論模型に役立つ形式的数学が与えられる保証がない,と述べる。統計的推論による模型の検証に対しても,Viningは経済変動の研究者に必要なのは広義の統計理論であり,統計理論を数理統計学の推定論・検定論に限定するのは根拠のないことである,と力説する。

 Koopmansは以上のViningの主張に反論し,彼のいわゆる総体的行動の方程式(Viningは方程式まで要求していないが)について,それが実験不可能であるという理由で否定的であり,繰り返し,基礎的行動方程式によって経済変動の背後にある恒常的な行動関係を表現することが正しいと述べる。また広義の統計理論は計量経済学の模型構成において必要な理論であると受け止めつつ,この模型のパラメータの推定またはその値の検定が重要であると主張している。それだけではなく,無数の統計的仮説の検定→対立仮説の棄却→新仮説の採択の過程こそ,理論の発展の態様を示す図式と主張した。

 ViningがこのKoopmansの反論に同調せず,「個別的行動方程式」が空疎な仮説であり,「仮説検定=理論発展図式」説が無意味であると指摘したことは言うまでもない。
第二次論争に参加したのはD.Novick, L.R.Klein, J.S.Dusenberry, R.Solow, S.Enke, J.S.Chipman, J.T.Tinberrgen, D.G.Champernowne, R.Dorfman, T.C.Koopmans, P.A.Samuelson, である。テーマは計量経済学における数学乱用の危険性(Novick),それに対する反論(Klein)によって特徴づけられる。筆者は,なかでもNovickの議論に注目している。Novickによれば,数学は「説明の道具」として経済学に利用されているが,その利用は興味本位の遊戯的説明に役立ったとしても,現実分析には妥当しない危険性を孕むので好ましくない,というものである。

 KleinはこのNovikの辛辣な批判に対し,真っ向から反論した。Kleinによれば,数学は経済学に数学的骨格模型を与え,統計的推定あるいは検定のために経済理論を数学の鋳型にはめこんでおく必要がある。しかもこの推定または検定自体が数学の一分科である確率論にもとづく。投入=産出分析,需要分析にとって,数学は強力無比の万能の武器である。
これに対して,Dusenberryなどは一方で数学の力能を認めつつ,他方で理論の実証性に注意を払い,数学乱用の危険性を指摘した。

 Dorfmanは数学を論理学の一分科と定義し,時間と思考を節約する手段とみなす。
Koopmansは数学を量的方法および一種の言語と見る。Koopmansはさらに,経済理論のための数学の利用が論理的矛盾のない関係を確保することにあるので,これを推奨した。 
Tinberrgenは計量経済学研究を6段階に分け,それぞれの段階での数学利用の効用を論じた。

 討論の総括を行ったのはSamuelsonで,彼の主張の要点は次の2点である。第一に,数学は言語の一種であるにとどまらず,言語と全く同等である。数学命題の言語命題への翻訳とその逆は可能で,この意味であらゆる経済理論は数式の体系として表現できる。第二に,数学の優れた機能は,命題の論理的含意の規制にある。したがって,無矛盾なる演繹の連鎖はそれ自体誤りではなく,経済学にこれを容れる余地は十分にある。

 最後にEnkeの再批判は最初のNovickの批判が有効であることを追認し,再び数理経済学というものが現実世界に考慮せず,極度に抽象的な模型を用い,代数的記号の演繹的駆使に専念するが,経済生活はその態様を方程式体系で記述することができない豊かなデリケートな現実であるので,数理経済学のような実生活に関わらない理論の空転は経済学の進歩を阻害するだけであると断じている。

 筆者は「論評」で,計量経済学に対する批判者たちが加えた指摘に原則として賛成している。第一論争で知ることができるのは,Koopmansたちの企てる計量経済学研究が非現実的な仮定にもとづいて,立論していることである。また,第二次論争では,Klein, Dorfman, Koopmans, Samuelsonのほとんど無反省に近い数学への信頼と,Novick, Enkeなどの原則的批判の核心をなす「数学的経済理論の没経験的性格の指摘」とが明らかになったと評している。数学乱用の危険性を強調したNovick, Enkeなどの計量経済学者は,経済理論が経験的事実を反映し,その結論が事実によって実証されなければならないことを要求した点で,一致していた。   
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