社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

是永純弘「数学的方法の意義と限界」『講座 マルクス主義哲学3(現代科学と唯物論)』青木書店,1969年

2016-10-18 11:06:37 | 12-1.社会科学方法論(経済学と方法)
是永純弘「数学的方法の意義と限界」『講座 マルクス主義哲学3(現代科学と唯物論)』青木書店,1969年

 筆者,40歳の前後に執筆した渾身の論稿。本稿の目的は,自然と社会の諸現象の数理的分析が科学研究にどのような地位を占めるか,その意義と限界がどこにあるかを,主として社会科学,とくに経済学の研究対象について考察すること,とされている。数学的方法の利用が社会科学の研究方法の体系のなかでどのように位置づけられるべきかが論じられている。

 まず,数学的方法の学問的性格についての検討である。次に,自然科学における数学利用の進展をいかに評価するかという問題が考察されている。その際,重要な課題とされているのは,自然および社会における客観的実在としての「物質の階層性」を認識することの一環として,数学利用の問題を解明し,それを科学の研究方法論の体系に取り込むことである。

 数学の固有の研究対象は,客観的実在の量的側面である。ここで言う量は,質的無関与性,対象間の外的関連としての量である。数学は具体的諸対象の質的差異の捨象=量的規定性の抽象によって成立する。数学の研究対象の抽象性は,数学が反映する諸連関の客観的実在性を否定するものではない。筆者はそれをE.コーリマンに依拠し,数学自体の発展の歴史にみる。現代数学は高度な抽象性をもつが,数学の実在反映性を否定するのは正しくない。また数学の抽象性をもって,他の諸科学における数学の利用可能性を無条件に基礎づけるのは誤りである。

 数学の利用範囲が広いのは,物質=客観的実在とその変化の過程が全て量的側面をもっていること,この量的側面だけを抽象することで諸現象に共通な一般的合法則性を数学でとらえることが可能だからである。しかし,この量的側面だけの認識はそれがいかに高度な抽象にもとづく現代数学の研究の結果だとしても,当の具体的認識の全面的認識になることはありえない。

筆者はここで,例えば公理主義的数学感の数学の極端な応用可能性を支える観念が現代数学の対象とされる集合論的「構造」と他の科学分野での「構造」との同等性にあると指摘する。ここから,さらに数学的抽象の特殊性の解明に進む。数学的抽象の特徴は質的に無関与な抽象であり,現象の具体的内容にたいして無関与である点にある。数学的抽象は客観的実在の一般的な特徴の反映であるものの,数学的認識の深化・発展過程で質的無関与性が一層高まる。一見したところ,質的無関与性のより高次の概念が次々と形成されていく純形式的過程がこの科学の発展のようであるが,それは外見上のことで,本質的にはこの特異な一般化の進展も人間の社会的実践,自然科学と技術の発展にもとづいている。数学の他の諸科学分野での応用,日常実践への応用は,数学そのものの発展の動力であり,数学的抽象の真理性の基準である。

自然科学における数学利用の実状は,どうなっているのだろうか。自然科学で利用される数学的方法は,補助的,従属的役割しか演じていない。たとえば物理学では相異なる多様な運動形態を縦断してあらわれる一般的法則が数学の力で精密に表現されてきたことは事実であるが,この物質の低次の運動形態を研究する科学でも,それに固有の研究方法に代位するものではない。注意しなければならないのは,物理学の本質をその数学的表現にもとめる幾何学的自然観,代数学的自然観のような「数学主義」が存在することであり,このような「数学主義」を範とした生物観,社会観が登場してきていることである。行論との関係で憂慮されるのは,数学の利用度の低さが示す自然科学にたいする社会科学の立ち遅れという認識,数学利用によるその克服,自然科学とくに物理学による諸概念の,社会科学とりわけ経済学への類推適用の姿勢が社会科学の現代的発展ともてはやされることである。こうした類推適用の事例は,計量経済学,計量社会学,計量心理学,行動科学など枚挙にいとまがない。社会科学の分野に蔓延した数学主義に共通した重大な欠陥は,社会をも含めた広義の自然における質的に異なる無限の階層性のそれぞれに固有の法則が支配し,各個別科学はこの法則性の認識を目的にするものの,すべての法則にはそれに固有の限度をもつという現代科学の特徴に理解がないことである。社会における数学利用は,「定性分析から定量分析へ」といったスローガンや,自然科学の無批判的模倣によって正当化されるものではない。

 以上の展開から,社会経済現象への数学利用の意義と限界はおおむね整理されているが,筆者はさらに社会現象の特質,社会的定量の特質を論じ,さらに社会的定量の指標性,すなわち統計で社会現象の数量的側面をとらえることの意味について考察している。社会科学が対象とするのは基本的に,人と人との関係,社会関係あるいは生産関係であり,特定の条件のもとでのそれらの物象化された関係である。これらは社会現象の量的関係に還元できない本質的関係である。また商品の価値を分析する場合には,それらの生産に投下された抽象的人間労働が問題となるが,その際の人間労働の抽象化は数学でおこなわれる質的無関与としての抽象とは決定的に異なる。社会的定量に関して言えば,それは必ずしも測定可能なものとは限らない。定量が測定されるのは,例えば統計調査においてであるが,その結果は現象的な量的規定性の一側面としての指標(徴候的指標)である。もちろん,直接的測定の不可能性は,本質的定量ないし現象的定量に対して,数学的方法の適用を排除する理由にならないことは言うまでもない。剰余価値率や利潤率の研究は,数学的展開をその一部に含みうる。

 統計学者である筆者は,社会的定量の指標性の問題との関連で,社会的測定の主要な一形態である統計調査をとりあげ,社会的諸現象の量的規定性のさらに一側面を抽象した指標を与える認識実践としての社会的測定の特質を考察している。統計調査は,実験(同一条件で繰り返しが可能)の一環としての観測ではなく,調査者と被調査者の利害関係の相違のもとで行われる社会的実践である。そこには自然科学ではありえないほどの大きさの誤差を含むのが通例である。統計指標という社会認識の材料によって反映される現象のどの側面を本質的とみなし,またどの側面を非本質的とすべきかを,当該の研究対象の質的規定性に関する理論的認識あるいは社会科学の既存の理論によって判別し,吟味する科学が社会科学の分野で不可欠となる所以である。

 以上のように要約してくると,本稿は非常に抽象的な論理展開をしているように思えるかもしれないが,実は具体的事例が多数織り込まれている。「諸科学における数学の利用」では赤摂也の公理主義的数学観が,「自然科学における数学の利用」ではN.ウィーナーによる社会科学の数量分析における数学的方法の性質に対する無理解が指摘されている。これらに続く,「社会科学における抽象の特質と数学の誤用」では,社会科学の理論を一定の抽象的命題の形式的体系とみなした公理主義的経済学の構成(K.メンガー,O.モルゲンシュテルン,水谷一雄,山田雄三)が,またソ連において一時みられた量的分析が独走した経済学(「マルクス経済学における数学的方法の利用」)が取り上げられている。さらに経済学における数学誤用の所産として,諸現象の相互連関および因果連関を,低次の現象記述にすぎない相関係数や関数関係に還元する考え方,実証的計量分析の基本方法の一つとして駆使された確率論的・統計的方法,そしてこうした誤用を支えている電子計算技術装置の発達とサイバネティクス(情報の制御に関する科学)が批判的対象として論じられている。

 筆者は末尾で次のような結論を与えている。本稿は「数学が『質的無関与性における量=量としての量』の科学であるということに,数学的方法の学問的特質を見出し,これにもとづいて,他の科学分野の研究,とくに社会科学の研究へのその利用可能性と,その限界を明らかにして来た。歴史的存在としての人間の社会関係の研究を主題とする社会科学においては,研究対象としての具体的な社会の現実が要求する固有の研究方法があくまでも主役であって,数学的方法はこれに主導され,これを補助し,社会的な諸現象の量的側面をその質的側面との統一として研究するかぎりにおいて,社会科学においても有効(卑俗な日常実践に役立つという意味ではない)であるが,この限界を逸脱した数学的方法の独走は,数学の真の利用ではなく,その誤用ないしは濫用である」と。(pp.315-6)
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