社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

坂元平八「確率論における観念論とのたたかい」『統計学』第2号,1955年9月

2016-10-18 16:41:35 | 12-3.社会科学方法論(確率基礎論)
坂元平八「確率論における観念論とのたたかい」『統計学』(経済統計研究会)第2号,1955年9月  

確率論を統計学の理論的基礎におく考え方は,正当な根拠もなく,戦後一時流行した。確率論とはどのようなものか,それを社会現象に適用するさいにどのような限界があるのか,十分な検討もされないまま,観念が先行していた。

 本稿で筆者は唯物論の立場から,確率論の観念論的解釈に異議を唱えている。推計学の性格に対する批判,反省が出始めた頃の論稿である。

 やや長い前置きがある。筆者はここでソ連の統計学論争でのオストロヴィチャノフが示した「進歩的数学的方法」への期待,またコルモゴロフの慎重な言説を紹介している。とくにコルモゴロフの見解,すなわち数理統計学を確率的現象よりも広い事象についての形式的数学的側面を取り扱う学問としての認知,確率論に関してこれを任意の大量現象ではなく,「確率的に偶然な」現象をあつかう科学であるとの理解,社会科学としての統計学の役割と数理的方法としての統計学のそれとの区別に親近感をもっていたようである。

 そのうえで筆者は,数理統計学がその認識論的基礎を問うことなく,論理実証主義の立場にたって確率論に依拠する傾向に不満を示し,その批判を試みる。立脚する視点は,統計力学をモデルとしたヒンチンの論文である,との表明がある。

本論に入ってまず,確率の基礎概念に関する問題の整理がある。確率論の世界では,一つの事象の頻度は試行の回数を大きくすれば,その事象の確率に接近するという点で一致をみている,問題の矛先がそうした基礎概念の具体的解釈,数学理論と現実世界との関係に向けられると見解の相違が多々ある。しかし,重要なポイントは,一つの事象の確率は頻度によって解釈するか,しないかである。

 確率論の要具は,事象の頻度が安定性を示すような過程にのみ適用され得る。それでは安定性を示すような過程とはどのような過程なのか。事象の頻度が安定性を示すような自然過程はどのような特性をもたなければならないのか。過程そのものを支配する合法則性をよりどころに,理論的方法である過程が安定性を示すような過程であるかどうかを確認することができるのか。筆者はこうした問題に答えることが確率についての解釈を方法論的に正しく展開するために意義があると,問題提起を行っている。

 古典確率論の解釈の第一の欠陥は,その定義にあたって最初から現実の頻度を問題としないことである。この立場では,確率は過程の現実的経緯と無関係に成立するので,サイコロ実験などで繰り返しの試行の行きつく先が計算上与えられた確率になるか,あるいは近づくかは問題にならない。しかし,確率の古典的定義を実際の頻度と結びつけようとする試みは過去からあり,通常ベルヌーイの定理が引用される。「サイコロを投げて得られる長い系列では,たとえば5の目が出る頻度が(1/6)とかけはなれるような系列が得られる確率は非常に小さくて無視し得る程度だ。従ってこの様な系列は実際においてほとんどあらわれない」。この定義の前半はベルヌーイの定理の内容の正しい解釈であるが,後半は根拠がない。確率論の観念論的解釈は,試行の過程が確率計算でもとめられた値に向かって進行せざるをえないのは,その結果が過程の客観的性格によって条件づけられているからではなく,そのような進行をその過程に期待するからであり,そしてそのようにならないということが到底考えられないからである,ということになる。

古典的確率論の第二の欠陥は,不正なサイコロが投げられる場合に露わになる。古典的解釈では,この様な場合に生じる安定性を予見できない。過程のこの「等可能な結果」を発見する余地は古典確率論にはない。これでは,ほとんどすべての問題が確率論の対象外にあることにならざるをえない。実際にはこのような場合は例外と言える。それゆえに,古典確率の定義はきわめて少数の例外的場合にしか適用できず,適用範囲は「賭」の範囲である。

 古典確率論の解釈に本質的欠陥が存在することを指摘し,これを放棄して,新しい頻度理論の立場から確率論を構築したのは,ミーゼスである。ミーゼスは事象の確率を,限りなく多数回繰り返された試行における頻度の極限値と定義した。この解釈の特徴は,確率と頻度の問題が既に定義のなかに組み込まれていること,したがって頻度の安定性をどのような過程が示し,またどのようなものが示されないかと言う問題を解決するのは実験によるということになる。過程のある客観的特性を特徴づけることは行わないで,経験された系列の結果を記述すればよい,という。ミーゼスの理論は確率論の専門家の間では支持者がほとんどいないらしいが,物理学者のなかでは評判がよい。

 すぐに気がつくように,ミーゼスの解釈は古典確率論が有していた欠陥から自由であり,確率論の唯物論的解釈に一歩近づいている。しかし,上記の説明の後段部分は,マッハによる経験論的解釈との親和性が強い。ヒンチンは,この点を殊更,警告した。近代数理統計学の世界で「統計的判定関数の理論」(A.ワルド)は,この論稿執筆当時,高い評価を得ていたが,そのワルドはミーゼスの信奉者であった。その後継者であったサベージは論理実証主義の立場から,確率論,効用理論,ゲーム理論などを統一して統計理論の構築をはかっていた。ヒンチンは唯物論的立場から任意関数の方法(ポアンカレ)を提起して,このような数理統計学の傾向に反撃した。

筆者の立場が全くヒンチンのそれに一致していたのかはよくわからないが,本稿からは,少なくとも古典確率論あるいはミーゼス的頻度説に従えず,唯物論的認識論の立場から当該問題に接近しなければならないと考えていたことは,理解できる。
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