社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

藤原新「ケインズ『一般理論』の方法-『蓋然性論』における蓋然的推論の論理-」『統計学』第64号,1993年3月

2016-10-18 17:04:11 | 12-3.社会科学方法論(確率基礎論)
藤原新「ケインズ『一般理論』の方法-『蓋然性論』における蓋然的推論の論理-」『統計学』第64号,1993年3月

 ケインズには『蓋然性論(Treatise on Probability)』(1921年)という著作がある。この著作でケインズは,論理学の一部として蓋然性を体系化し,決定的な関係をもたない命題間に論理的関係が存在することを示し,蓋然的推論の論理学の確立を試みた。蓋然的推論は人々の「意識的行動」にも,「科学」にも不可欠であり,ケインズ経済学においては経済主体の行動にも,『一般理論』(1936年)の基礎にもなっている。筆者は本稿で,経済主体が意識決定という意識的行動の基礎におく「期待」と,ケインズ自身による経済過程の理論化の認識方法を検討している。それは『蓋然性論』で展開された蓋然的推論の論理が『一般理論』で果たしている役割を示すことであり,『一般理論』の方法的特質を解明することである。

筆者はまず,『蓋然性論』における蓋然的推論の論理を要約している。命題間の関係を表すケインズの蓋然性概念は,対象を認識する人間の意識のうちに存在する。蓋然性の論理学は,行動にかかわる命題間の合理的選択の基礎である。ケインズが『蓋然性論』で扱う対象は,論証によって獲得されながら論理的必然性をもたない命題である。この場合の論証は,手持ちの知識を前提にある結論命題を推測する行為であり,蓋然性とはその結論命題が真であることに対する主体の確信の度合である。蓋然的推論は,その論証を指す。ケインズは,ここに示される関係を蓋然性関係と呼んだ。

結論命題は証拠命題と相対的である。蓋然的推論を論じる際には,証拠命題の検討が不可欠である。ケインズのいわゆる「合理的確信」は,蓋然的推論を行う場合に必要な,厳密な論拠から導かれた確信である。結論命題と関連をもつ証拠命題が存在するかどうかは,その推論が合理的かどうかを規定する要である。証拠命題は,蓋然性関係において決定的な重要性をもつ。

 筆者は以上の点を確認し,ケインズが強調した次の2点に注意を喚起している。一つは,証拠命題の数によって,「論証の重み」が決定される。もう一つは,ケインズが蓋然性の主観的性格と述べたもので,同じ状況にあっても推論を行う主体が異なれば所持している知識も異なるので,推論の過程がひとしく客観的で論理的であっても,証拠命題の相違によって蓋然性や重みは異なり,したがって選択の仕方も異なるということである。また,証拠命題が蓋然的推論の結論命題として導かれたものである場合,この推論過程は二段階で構成されるが,その証拠命題がどれだけの証拠によって基礎づけられているかという「証拠命題としての重み」の問題は蓋然的推論の論理を『一般理論』に適用する際に,とりわけ重要になる。

ケインズによれば,現実は将来への不確実性に支配されている。不確実な状態とは,将来に関わる命題の蓋然性が小さい状態ではなく,論証の重みが十分でない状態を指す。蓋然性が主体の確信の度合いを表すのに対し,論証の重みはその論証に対する主体の自信の度合いである。不確実な状態にある人々が合理的な推論を行うとすれば,何らかの仮定をおいて手持ちの確信的・蓋然的な知識を証拠命題としなければならない。しかし,人々が証拠命題を入手する目的のために変化を期待する特別の理由がないとき,彼らは慣行にしたがう。慣行は経済主体の手もちの知識の一部をなし,彼らの目的や知識の相違に対応して多様である。筆者は経済過程に偏在するこの多様性を,企業者と金利生活者とについて具体的に考察し,『一般理論』では慣行に依存するこれら二者によって投資需要が決定される(資本の限界効率あるいは利子率をとおして)ことになると解説している。

 ところで,慣行は本来,証拠命題となるべき将来の出来事を,ある自信をもって推論できないことによる証拠命題の不在を避ける理由で用いられる。そして,これは「変化を期待する特別の理由がないかぎり,現在の事態が無限に存続する」という仮定にもとずいて理論に導入され,不確実性に起因するものであった。したがって「変化を期待する特別の理由」が生じたときには,慣行に従わなければならない理由が失われ,慣行はもはや証拠命題とならない。推論は新たな命題を証拠命題とし,それにもとずいて再度,形成され,その時点で不連続な変化をきたす。

 以上のように,経済主体の期待形成を『一般理論』のおける蓋然的推論の論理にもとづいて検討すると,『一般理論』における期待とは,多様で不連続に変化し,さらに相互依存関係にある人間が行う合理的であるが蓋然的である推論に他ならない。 

 筆者は最後に,ケインズ経済学を新古典派経済学と対比し,その方法的特質を整理している。それによると,新古典派経済学は同質的な経済主体が極大化原則という普遍的原理にしたがって行動する「ホモ・エコノミカス」を想定した枠組みをもつのに対し,ケインズ経済学が扱う経済主体は具体的な人間関係の観察からもたらされたもので,経済主体は異質で相互依存的であり,彼らの選択行動の安定性を保証するかのようにみえる慣行は突然の変化を内包する主観的要因にすぎない。このような対象から一般化命題を引きだすためには,分析者は多くの具体的な観察結果や推論によってえられた多様な知識のなかから,重要だと思われるものだけを選び出し,帰納的推論をもちいて一般化命題を認識しなければならない。このように導かれた理論は,直接に観察され,ある自信をもって推測された現実の経済的事実の集合を証拠命題とし,合理的推論によって導かれた結果命題の体系になる。

 さらに『一般理論』が蓋然的推論によって導出された体系の命題であることは,その背後に代替的な命題の体系が存在することを含む。経済学はモデル(数理モデルではない)の選択の技(art)であるというケインズの主張は,ここから生まれる。経済学をこのようなものと考えると,時間的に変化する経済過程から具体的にどの要因を証拠命題として選び出すかに関して,絶対的基準はないことになる。その判断は理論を構成する個人の経験と内部洞察力とに裏打ちされた直観にもとづく。理論はこうして得られた証拠命題から論理的に導出された結論命題の体系である。ケインズ経済学の方法の最大の特徴は,この点にある。経済学がモラルサイエンスであるとケインズが主張するのは,このためである。
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