社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

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薮内武司「日本における中央統計団体の軌跡-「東京統計協会」の結成とその展開-(第2章)」『経済論集』第36巻5号, 1987年2月

2016-10-08 21:50:33 | 11.日本の統計・統計学
薮内武司「日本における中央統計団体の軌跡-「東京統計協会」の結成とその展開-(第2章)」『経済論集』(関西大学)第36巻5号, 1987年2月(『日本統計発達史研究』法律文化社, 1995年)

 本稿では「表記学社」とともに, 明治期の民間の統計結社だった「製表社」の結社事情とその後の展開を論じたものである。「製表社」の創設は, 1878年12月, 杉亭二はじめ有志の参画により, 統計資料の収集編纂が目的とされた。ほぼ同じ時期に渡邊洪基, 馬屋原彰, 小野梓が同じような組織をつくろうとしていたので, 両者は協議の上, 合体し, 「統計協会」が発足した。

 統計協会は, 機関誌として「統計集誌」を発刊した。筆者はその内容を, 統計理論(新渡戸稲造のケトレー論, 高野岩三郎のクニース, マイヤーの紹介, チチックをベースにした藤本幸三郎の「統計学と社会学」に関する論説, など), 国勢調査支援, 人口論に関する論説), 経済統計に関する論説などについて細かく紹介している。
 統計協会はその後, 東京統計協会と名称を変更し, 1883年に杉亭二らの尽力で開校した共立統計学校と合併し, 後者がそれまでに行ってきた統計学の講習会の維持を企画し, 1899年6月から統計学社との協賛のかたちで, これを軌道にのせた。さらに, 統計院編「統計年鑑」の刊行, 官庁統計に必要な膨大な資料の蓄積を行った。

 しかし, これらの営為にも関わらず, 東京統計協会は第二次世界大戦の戦局が悪化するなかで機関誌「統計集誌」は終刊となり, 組織自体も解散においこまれた。本稿は, 「製表社」から出発して, 「統計協会」, さらに「東京統計協会」と名称変更しながら, 関連分野で果たした役割を評価し, 戦後の「日本統計協会」の活動の礎をつくった功績をたたえ, 稿を結んでいる。
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