社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

是永純弘「社会主義経済学におけるサイバネティクス適用とその問題点」『統計学』第12号,1964年3月

2016-10-18 10:58:31 | 12-1.社会科学方法論(経済学と方法)
是永純弘「社会主義経済学におけるサイバネティクス適用とその問題点」『統計学』(経済統計研究会)第12号,1964年3月

 1960年代に入って,社会主義諸国,とりわけソ連,東ドイツで,経済学にサイバネティクスを適用し,あらたな経済学,プラノメトリアを志向する動きが顕著になった。サイバネティクスとは自動制御論であるが,もう少し具体的な定義をすると(論者によって多様であるものの),情報の制御と通信の一般理論,あるいは物質のダイナミックな系の制御と情報加工のための一般的合法則性を研究目的に掲げる科学ということに落ち着く。ソ連の論者ではВ.С.ネムチーノフ,А.И.ベルク,ベルキンなど,東ドイツではG.クラウス,R.テイールなどであった。

 筆者はこの傾向を逸早く察知し,その内容を批判的に検討した。その成果が,本論稿である。最初に,サイバネティクスを推奨する論者が何をどのように提唱しているかを詳細にフォローし,ついでそれに対する疑問の提示,批判的結論づけを行っている。

まずベルキンの議論が取り上げられている。ベルキンはサイバネティクスを社会主義経済分析に適用することを積極的に推すが,その前提として「質的分析」が不可欠と述べるが,後者の内容は全く不明とのことである。「質的分析」の必要性は,いわば枕詞として言われるにすぎない。

ベルキンがサイバネティクス利用の領域としてあげるのは,経済計画化,統計の処理,財政・金融制度の運営,とりわけ資財=技術供給である。こうした適用が可能なのは,議論の中身をみると,それは電子計算機の威力が顕著で,業務を効率的に進めることができるということにつきる。電子計算機がサイバネティクスの物質的前提であるという主張である。問題はこの主張の延長線上で,経済学の理論,管理と制御の理論までもサイバネティクスで再編すること,この目的ために理論の数学的精緻化が至上命令になっていることである。筆者は次のように指摘する,「たしかにベルキンのいうように,高速度で記憶容量の大きい電子計算機の現在の性能と,計算機工学の日進月歩は事実であり,そのかぎりで,計算作業の機械化テンポの大きいことも否定しがたい事実であろう。しかしながら,このような電子計算技術の発達が,はたして,経済学の研究にあたらしい一段階を画しうるものなのだろうか,この種の計算技術の発達にまかせておけば,計算機自身の構成原理となったサイバネティクスの経済学への適用が自然に正当化されることになるのか。すぐれて数学的な計算機の論理やサイバネティクスの原則の他の個別科学への適用にあたって『数学の本質如何・・・』といった原則的な方法論的反省はもはや無用のものになるのか。筆者はこれらの問題についてなお検討の余地がのこされていると考えざるをえない」(p.34)。筆者の語り口は控えめだが,問題の指摘は鋭い。

 またサイバネティクスと経済学との関連を論じた東独のクラウスの主張も,批判的検討の俎上にあげられている。クラウスの議論を,筆者の紹介を道案内にたどるとしよう。クラウスは,サイバネティクスを「動的な,自動制御・自動安定化する系についての一般理論」とし,系の中心概念が情報であるとする。この情報概念から報告の伝達,信号,回路,フィードバック,指令,制御といったサイバネティクスの基本的概念が派生する。サイバネティクス系は,狭い技術系とだけ結びつくのではなく,生物学的なもの,社会的なものにも共通した指令,制御,安定化の作用の総称である。相異なる諸領域における本質的同質性が抽象され,そのために数学的モデル作成の作成が必要とされる。全ての社会構成体は,生産諸部門を構成要素とする系である。この系がサイバネティクス系とみなされるには,そのなかの成員,要素の間に,制御し制御される関係,自動的に安定化する作用がみとめられなければならない。この自動制御,自動的安定化は,社会の経済発展の自然発生的経過だけでなく,経済系の内部の諸力の交互作用をも意味する(資本主義経済の内部でも,社会主義経済のそこにも)。社会主義経済のもとでは,経済の計画化によって生産部門の調和した関係,国民経済の高度の発展の安定化が保証されているので,数学とサイバネティクスの応用の展望は格段とひらける。

 筆者は以上の見解に対して3点の批判を行っている。第一は,サイバネティクスを「普遍的方法」とみなしてはならないということである。それが扱う本来の対象は,電気論,電気工学に由来する物理的要素に対してである(J.Segal)。生物学,社会科学のような,物質のより高次の運動形態を正しくとらえることは原則的にできない。サイバネティクス適用論のポイントは,自然および社会の諸現象における自動制御系の客観的存在という仮定であるが,この仮定が事実として証明されるのはせいぜい電子通信工学とその理論の物象化である電子計算機以外にない。

 第二に,サイバネティクス系といわれる自動制御の過程は,生物学や経済学などにおいてその適用以前に既に認識されていた事実である。サイバネティクス模型の構成は,それらの科学で既知の事実を単純化し,一面的に反映したにすぎず,内容的に新たな事実や法則を追加しているわけではない。

 第三に,情報にもとづく制御の一般理論としてのサイバネティクスは,適用論者自身が指摘するように,適用範囲を広げればひろげるほど被適用対象の無内容な単純化,抽象化を進めることになる。
筆者はサイバネティクスそのものの否定,電子工学におけるその有効性の否認,電子計算技術の無視を行っているのではなく,「要するにサイバネティクスはそれ自身固有の対象をもつ個別科学であって,その理論と方法をそのまま他の科学の理論や方法の代用物にすることはできない。したがって,この科学を哲学(弁証法的唯物論)と同列においたり,両者の差別の絶対化したりしてはならない。サイバネティクスは哲学のカテゴリーを具体的な形でとりあつかうことができるが,その妥当性は限定されている」(p.38)と結論づけている。
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