社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

有田正三「フラスケンパーにおける社会統計学の構想-フラスケンパーの統計学の研究・その1-」『彦根論叢』第14号,1953年

2016-10-16 21:35:35 | 4-2.統計学史(大陸派)
有田正三「フラスケンパーにおける社会統計学の構想-フラスケンパーの統計学の研究・その1-」『彦根論叢』第14号,1953年

 冒頭に20世紀を境にしての,ドイツ社会統計学の変容に関する要約がある。ひとことで述べれば,それはマイヤーで体系化した実体科学としてのドイツ社会統計学の解体変質,方法論的側面を重視した統計学の志向,そしてその内部で統計作成者の側からの統計学から統計利用者の側からのそれへの推移,転換,さらには統計作成=統計調査論の新視角による再構成と統計利用論=統計解析論の形成と展開である。

後者の統計利用論=統計解析論の形成と展開では,第一に統計利用の形式的要件の規定(チチェクの「形式的同種性」)と,第二に統計解析手続きの定立とが主要論点である。これらのうち統計解析手続きの定立では立ち遅れが目立ち,遅れを克服するために数理統計学の成果の摂取,受容が問題となった。この点については,W.ウィンクラー(数理統計学的観点による社会統計学の編成,統計作成=統計調査論の骨抜き,数理解析手続きの優位),A.ティッシャー(社会統計学と数理統計学を「一般的形式的」立場から統合),P.フラスケンパー(社会統計学に数理統計学の成果を摂取)とそれぞれ姿勢が異なる。

 ここから以下,フラスケンパー統計学の解説と検討が行われる。フラスケンパーは「実質科学としての社会統計学」を拒否し,社会統計学を社会的事実に応用される統計方法の「学」として構成する。その内容は,大量観察法と統計解析法である。前者はドイツ社会統計学が歴史的に方法論研究の主要対象としてきたものであり,後者は数理統計学の成果の一部である。

フラスケンパーは,ドイツ社会統計学の歴史的遺産への数理統計学の成果の移植を2つの基本的規定において行う。第一の規定は,統計的認識の目標に関するもので,具体的には「記述的なもの」と「典型的なもの」の併置による「認識目標の二元論」である。「記述的なもの」は,計数と計量など初等数学的方法による認識であり,「典型的なもの」は確率論を基礎とした高等数学的方法による認識である。「記述的なもの」の認識と「典型的なもの」の認識とは,それぞれ独立し,一方が他方に従属させられるという関係はない。第二の規定は,「事論理と数論理の並行論」と呼ばれるもので,これは全ての数理的手続きが実在的状態の論理によって有意味であることの裏づけを要求するということである。

 筆者はフラスケンパーによる統計学の以上の構想を,「ドイツ統計学の現在および将来の課題」(1936年)によりながら,その見解の要点を紹介している。
1.統計学における2つの潮流
(1)2つの潮流とは「一般統計学」と「数理統計学」であるが,この名称は必ずしも正しくないとして,「初等数理統計学」と「高等数理統計学」とに,あるいは「非数理統計学」と「数理統計学」と呼ぶことにする。
(2)両者の相違の根本は,考え方の相違にある。両者の相違は,事論理的概念および観念の有無ないし程度の相違による。
(3)事論理的概念とは,社会的事実の実質的性質と状態に対応し,その計数を可能にする手段として役立つ概念である(静的=動的集団概念,統計単位,統計標識・群,統計的同種性,比率と平均の意味の規定)。事論理的概念には数論理的概念が対立し,これには絶対数,比率,中数値,散布度,相関係数などが相当する。

2.社会科学に対する数の意義
(1)研究に用いられる概念の本質的形式と量化適性からみると,科学は「無機質的自然の科学(物理学,化学,天文学)」と「有機物の科学(生物学,精神科学,社会科学)」に区分できる。前者は数量に還元できるが,後者はそれが不可能である。
(2)社会的事実=社会科学の概念は量化適性を欠くが,数量的思惟や研究が大きな役割を果たす。このことを受け入れたうえで,社会科学的認識に対する数の価値と意義,その条件と限界を明らかにする基礎が得られる。
(3)社会的事実には,数量的研究の活動余地,数が妥当する側面がある。それは社会的事実の核心ではないが,重要な側面である。社会的事実における数的妥当性は学問的研究手段としての統計学に可能性を与える。

3.「事論理」と「数論理」
(1)社会的事実を計量化するには変動してやまぬものを静止化し一面化し,連続的なものを不連続なものに分割し,中間的形態を規格化しなければならない。このような方法的変形は,「集団概念」・統計単位・統計標識などの事論理概念の形成において行われる。これらの事論理概念は,社会科学的事物概念を基礎とし,これらの調整,推敲をとおして構成される。
(2)社会科学では数式は独立の生命をもたない。それは新しい認識を導き出す可能性ももたない。数式の意義は応用される対象の論理(事論理的概念)で決まる。
(3)全体的または有機体的なものと数量的なものとの結合=組み合わせという社会的事実の固有の性格,数が現実の一側面しか明らかにしないという事情から,「事論理と数論理の平行」が要請される。

3.数理統計学の摂取
社会統計学は,「事論理と数論理の平行論」によって構成されなければならない。社会統計学の事論理的側面は,ドイツで大きな発展をとげた。その成果は継承されなければならない。問題は事論理的視点を全く欠いた数理統計学の成果の導入をいかに行うかである。そのためには,次の諸点への配慮が必要である。(イ)高等数学的方法は,その適用によって認識的価値が保たれる範囲内であれば,精密な結果を得る可能性が拓かれる。(ロ)社会的事実は有機体的であり,人工的に計量可能なものにされるにすぎない。数量化の範囲を恣意的に拡張することは許されない。(ハ)統計資料は誤差を含むので,多かれ少なかれ厳密性を失っている。数理手続きの応用で得られる精密性が統計資料=計算の誤差により相殺される場合には,数量的手続きの応用は無意味である。
フラスケンパーの所論は,以上に見るように,ドイツ社会統計学=「非数理統計学」と「数理統計学」の統合,すなわち数理統計学の成果の摂取を通じたドイツ社会統計学の新しい構成とその原理を追求したものである。このことを可能ならしめる原理は,「事論理と数論理の並行論」である。しかし,この原理は筆者によれば,次のような方法把握における3つの形式主義を排除しない。
 すなわち,(1)ドイツ社会統計学と数理統計学に固有の方法的構造を完結,固定したものとして,対象(社会的事実)から切り離してとらえること。(2)方法の抽象化。数理統計学の確率論的要素の捨象による「高等数学的」形式としての把握。この把握は,非数理統計学(=ドイツ社会統計学)の初等数学的形式としての把握に照応する。(3)方法と対象,形式と内容の関係の転倒的(観念論的)把握。

筆者の結論は,フラスケンパーの所論が数理統計学の換骨奪胎とそれを受け入れるためのドイツ社会統計学=「非数理統計学」の地ならしがなされた,ということにある。
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