社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

長屋政勝「ティッシャーの統計理論(第2章)」『ドイツ社会統計方法論史研究』梓出版社, 1992年  

2016-10-17 11:41:47 | 4-2.統計学史(大陸派)
長屋政勝「ティッシャーの統計理論(第2章)」『ドイツ社会統計方法論史研究』梓出版社, 1992年

 筆者は本稿で, ティッシャーの統計理論(『統計学の基礎』1929年)を検証している。ティッシャーは, マイヤー統計学が座礁したあとに登場し, 社会統計的認識のなかにストカスティークを吸収し, 社会統計学と数理統計学とを形式論理学的次元で統合することが可能と考えた。しかし, 結果的にその試みは失敗し, その意図にもかかわらず, 事態は社会統計とストカスティークとの分断に結果する。筆者はその試みの実現可能性, 論理的妥当性, 限界を追跡, 吟味している。考察の順序は, その統一理論としての統合を可能とみる方法観と方法規定, 統計対象と統計的認識に対する形式論理学的規定, そして対象と認識規定に現れる統計的同種性の捉え方, となっている。

 筆者の紹介, 吟味を熟読すると, ティッシャーの構想は, その意図は高邁であるが, その内容はかなり観念的な構成物であるとの印象をうけた。観念論だとして一蹴する気は毛頭ないが, このような観念の構成物で統計学に未来はあったのだろうか。

 「統計の形式論」では, ティッシャーが統計の意味をどのように理解していたかが説明され, ティッシャーにあっては「統計理論は何らかの実質的内容をもった事柄をそのまま研究対象にするのではなく, 内容を捨象した, 対象の形式的属性と認識の形式的様式を問題とする形式科学」であり(p.73), 「統計とは集合を数量的に把握したもの」であることが示されている(p.74)。この理解が確認され, 以降では, 集合対象の規定(異種事物の構成体としての集合[質的規定性], 同種個物の総体としての集合[量的規定性]), 集合対象の分類(事物集合, 事象集合, 属性集合), それらに対応した認識様式(統計的判断), 統計的同種性(形式的同種性, 高められた同種性)の検討へと進む。

 筆者は, ティッシャーの集合の規定では, 社会統計, 自然統計, さまざまな測定値集合を, すべて同種な統計的個物からの構成物という次元で同一視され, 統計的集合の範囲が拡大され, 集合の形式的特徴に重きがおかれ, 結果的に統計と測定値とを区別することが重要である点を看過している, と指摘している。また, 統計的判断(認識)では, そこに顕在化する二つの異質な認識(事実の記述, 法則性の確認)の経過が形式的に一括され, 社会的集合と確率的集合(測定値集合に代表される)との間にあるはずのさまざまな異質性(それらの成立場面と根拠, 認識の関心, 研究目的など)が等閑視されていると, 特徴づけている。

 筆者の結論は, 次のとおりである。ティッシャーの理論そのものから得るものは, ほとんどない。しかし, 反面教師として確認できることは, 社会的集団と確率的集団(コレクティフ)は統計にとって異次元の対象であり, 同種個物の総体としては類似性があっても, その背後にある集合体とそれを規制する原因機構は別物であるということである。属性集合のなかに無理やりおしこめられた測定値集合は社会集団と異なり, その分布形式なり変動傾向の把握において大数法則と確率論をもとにした認識を要請する。それと, 全体と部分についての水準と規模, 関連と構成, 変化と発展の数量的認識とを同一視できない。さらに, ティッシャーは同種性の認識でも, コレクティフのもつ同質性と社会的集団にそなわった同質性を区別せず, それとの関連で発生する異なった認識目標と認識形式の違いを見逃してしまった。重要なのは, 社会的集合とコレクティフとの異質性をみきわめ, 両者の方法論的構成の相違を理解することである。
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