社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

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大屋祐雪「統計法の成立」『経済学研究』第39巻合併号,1974年3月

2016-10-08 21:37:16 | 11.日本の統計・統計学
大屋祐雪「統計法の成立」『経済学研究』(九州大学経済学会)第39巻合併号,1974年3月

戦後すぐに成立した統計法が,当初の大内兵衛などの学者グループの思惑,すなわち統計制度,統計調査,統計体系のための基本法作成の意図から,統計の管理行政に関する法律へと換骨奪胎された過程を解明した論稿。

 1946年9月25日,大内兵衛を委員長とする「統計制度改善に関する委員会」は,『統計制度改善案』を小委員会(大内委員会)で決定し,これを10月21日に「統計制度改善に関する件(答申)」として政府に提出した。この答申は統計制度改革のイニシアティブを統計委員会に委ね,統計委員会が新たに制定する統計法にもとづいて,その機能を発揮させるという構想を内容としていた。答申を受けた吉田内閣は,「統計制度改善に関する緊急処置要綱」を閣議了解し(11月21日),統計法(仮称)の立案を含む事務予定を示した。

 統計委員会の仕事であった統計法の作成は,小委員会で固まっていた「改善案」を基本法のかたちに法文化すれば済むはずであったが,事態はそうはならなかった。いざ法制化する段階に入ってからは,紆余曲折をみせる。
第一回統計委員会(12月20日)に最初の「要綱案(事務局案)」が配布され,続いて第二回統計委員会(1月10日)に2回目の「要綱案」が再び事務局案として提出され,この案は「統計法要綱改定案」としてまとめられた。他方,この頃ライスを団長とするアメリカ統計使節団が来日し(1946年12月12日),翌年1月11日に日本の統計制度再建に関する指針(Preliminary Report on Japanese Statisitical Organization)を出していた。1月11日以降,このレポートが統計法作成に影響を及ぼすことになる。

ライス統計使節団の影響を見るために,筆者は,1月10日の「要綱改訂案」と1月20日の「要綱案」を対比し,相違を確認している。後者の「要綱案」は1月17日に開催された第三回統計委員会での審議を反映したものである。1月20日の「要綱案」を1月10日の「要綱改訂案」と比べると3種類の修正がある,と言う。第一は条文の修辞的修正,第二は条文の形式上の修正,第三は内容的な修正である。第三の修正が重要なのは言うまでもない。それを列挙すると,目的条項の修正(第1条)申告義務に関する補足(第6条),企業についての申告義務の免除(第7条),内閣総理大臣を統計委員会の会長とする規定の削除(第8条),調査の責任者の文言の削除(第9条第1項),重要統計の企画の提出,改善に関する統計委員会の権限削除(第10条),統計家の地位の改善(第12条)である。

これらのうち,目的条項の修正(第1条)が特に重要であるが,そこでは1月10日案にあった統計制度や統計調査の改善発達に重きをおいた規定が,「統計の真実性の確保」「統計調査の重複を除く」などの規定に変更された。この変更はライス・ドクトリンの移行を強く受けている,と筆者は判断している。同時に,筆者によれば,法の目的がそのように規定されたとき,統計法は統計制度,統計調査,統計体系のための基本法から(広義の統計行政),統計の管理行政に関する法律(狭義の統計行政)へと変質したのである。

この統計法要綱案に対しては,後日,スタップがコメントを加えた。スタップはライスとともに統計使節団の副部長として来日し,ライス離日後,施設団の責任者であった人物である。スタップのコメントは,概略,次のとおりである。(1)統計に対する法体系は基本法と特別法の二本立てが望ましい。(2)統計作成機関決定の権限,特別法立案のおりに条項を変更する権限が統計委員会にあることの条文を統計法にいれるべきである。(3)公表できる有用な資料が不当に制限されないように,その権限を統計委員会に与えること。(4)つりあいのとれた統計制度の円滑な発達を強調すべきこと(第1条)。(5)重要統計の定義が狭すぎる(第2条)。(6)人口センサスをなぜ基本法に入れるのか。特別法で規定すればよい。(第4条)。(7)条文の意味が不明(第7条)。(8)統計委員会の目的,任務,権限,組織および機能につき一般規定があるべき。(9)第9条は項目に関する限り妥当。(10)統計委員会には統計制度の計画,促進,統制および調整に白紙の権限が与えられるべきである(第10条)。(11)罰則規定がつり合がとれていない。

統計委員会はスタップのコメントに対し第4回委員会をひらき(1月24日),法の形式を整えて第5回委員会にかけ(1月27日),要綱案としての委員会審議を終えた。委員会で審議を終えた統計法要綱案は,第92回帝国議会本会議で可決され(3月17日),3月26日公布,5月1日施行となった。

 1月27日の最終要綱案をみると,スタップがもとめた目的条項の変更にともなう手続き条項の手直しはなされていない(「要綱案」と「基本法」との間には実質的修正はない)。1月20日の「要綱案」に条文小見出しとしてあった「重要統計調査の企画の承認」から「企画」の文字が削除され,またライス・レポート,スタップ・コメントで位置づけられていた企画機能と調整機能とをもつ中央統制機構としての統計委員会から,企画機能が実質的にはずされるにいたった。
筆者は以上の戦後の統計制度再建の経緯を踏まえ,4つの仮説をたてている。(1)戦後の統計制度は大内委員会の構想により再建された。(2)ライス・ドクトリンの再建に大きな機能を果たした。(3)大内委員会とライス・ドクトリンの間に本質的相違はなかった。(4)しかし,現実はそのいずれでもない方向に動いた(大内委員会構想とライス・ドクトリンの骨抜き)。この仮説をうらづける分析が本稿である。
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