社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

横本宏「ボーレーの統計思想」山田貢・近昭夫編『経済分析と統計的方法(経済学と数理統計学Ⅱ)』産業統計研究社, 1982年6月

2016-10-17 20:06:06 | 4-3.統計学史(英米派)
横本宏「ボーレーの統計思想」山田貢・近昭夫編『経済分析と統計的方法(経済学と数理統計学Ⅱ)』産業統計研究社, 1982年6月

 本稿は20世紀初頭のイギリスで, G.U.ユールとともに, 統計学分野の大御所だったA.L.ボーレーの統計思想の内容を解説し, その意義を示したものである。ボーレーと言えば, 「統計学とは平均の学」であるという箴言で有名である。そのボーレーは, 数理統計学者だったが, ただそれだけにとどまらなかった。しかし, フィッシャー以降の数理統計学の隆盛は, ボーレーの統計理論を不当に貶めることとなった。筆者には, その思いがあり, ボーレーを今日においても正当に評価すべきであることを, 暗に訴えているように受けとめた。

ボーレーが並の数理統計学者でなかったことは(筆者は異例の数理統計学者であったと書いている), 彼が統計を「社会的生産物」としてとらえ, つねに統計の正確性, 精度を, 自然の測定値とは異なった観点から問題としている点にある。ボーレーが生涯にわたって関心を持ち続けた問題は, 人口, 産業, 貿易, 景気変動などの国民経済にかかわるもの, あるいは物価, 賃金, 生計費, 貧困といった人々の生活状態そのものだった。統計調査の分野では必要なデータが欠けている場合に, それを得る簡便な方法として標本調査は必要であるとして, そのための理論的基礎付けに努力した。

 筆者は以上のようなボーレー統計理論を念頭に, 彼の果たした業績の理解に入っていく。ボーレーは統計の正確性, 精度をつねに意識していた。確率論的な誤差論ではエッジワースに依拠していた。このエッジワース=ボーレーの誤差論は, ピアソン流の度数法則の研究とは異なり, ラプラス, ガウスの流れ, 誤差法則の研究の流れをくむ。また, 価格指数論では主観価値説をベースに顕著な功績をなしたが, その理論は貨幣効用の変動の測定ではいわゆる限界値論ではなく, 一つの値でその変動を測るという, いわゆる近似値論を提唱した。近似値論の指数論では, 消費面での貨幣購買力の変化の測定を問題とせざるをえないが, そのための具体的データを家計調査にもとめた。こうした研究をボーレーハリーンとともに進め, 彼らの研究は後の家計調査研究, 消費関数論, 計量モデルにおける誤差項の研究の礎となった。

ボーレーの統計学に対する考え方, 統計思想は, 名著と言われる Elements of Statistics(1901) に明らかである。先に示した「統計学とは平均の学」という言葉も, この著作にある。筆者はこの著作によりながらボーレーの統計学に対する考え方を丁寧に紹介しているが, 要約するとボーレーにあっては, 統計学は方法科学であり, 普遍的方法科学であるとしているものの, 統計の間接経験性の指摘, 統計調査論の意義の承認という点で, 独自の了解をもっていた(ドイツのマイヤーにつながる一面, 同時にピアソン流の科学観の否定)。

ところで, 今日, ボーレーの統計学に対する評価は, それほど高くない。筆者はその理由を, フィッシャー革命を抜きに考えられないとしている。すなわち, ボーレーが数学利用を限定的にしか認めなかったこと, 平均値を重視しながらも科学の目的を平均値の獲得にあるとする立場から遠かったこと, 統計的方法を諸科学の補助的手段としてしかみていなかったことがその理由とされている。記述統計学の範囲にとどまっていたボーレーは, 統計学の分野で記述統計学に対する評価が低下するとともに, 評価されなくなったわけである。筆者はしかしそうした理解だけでは不満足であるとし, ボーレー評価の低下の真の理由は, その統計学が記述統計学=生物統計学との通念とも相容れなかったからではないかと考え, もしそうであるならば評価の低下は不名誉なことではなく, 逆であると結論づけている。

筆者は最後にこの了解にたち, 当時のイギリスで隆盛をきわめた生物測定学派の独特の科学観, 方法観をおさらいしている(ピアソンのマッハ主義)。生物測定学派はゴールトンの「祖先形質遺伝の法則」によって代表される。今日, この「祖先形質遺伝の法則」は, メンデルの研究によって否定されている(当初はメンデルの研究が無視されていた)。生物測定学派は, データの数理的要約だけから誤った遺伝学説を(個体分析をせず, 遺伝子という要因を発見できなかった)導出し, 喧伝した。 しかも, それがメンデルの研究の再評価によって否定されると(遺伝学が科学として実質的な内容と体系を備えるようになったのは, この再評価以降), メンデル学説に媚びながらその延命策に腐心した。この論争からまったく自由だったボーレーは, 生物統計学を起源とする英米系の数理統計学, あるいは推測統計学の展開に影響されることなく, 独自の統計学を貫いた。

 この論文は, ボーレーの統計学, 統計思想を既存の価値基準にとらわれず, その内容に即して再評価し, あえて言えば, 復権させたところに意義がある。

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