社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

内海庫一郎「統計学の学問的性格」『社会統計学の基本問題』北大図書刊行会,1975年

2016-10-17 21:40:38 | 5.ロシアと旧ソ連の統計
内海庫一郎「統計学の学問的性格」『社会統計学の基本問題』北大図書刊行会,1975年

 2節からなり,それぞれに「ソヴェト統計学論争」「オストロヴィチャノフ報告とわれわれの評価」という見出しがついていることからわかるように,1950年代前半に旧ソ連で展開された統計学論争を題材に,標題にある統計学の学問的性格がどのようなものかを論じたのが本論文である。筆者は最初に本論文の課題を2点でおさえている。一つはソヴェト統計学論争の紹介で,これをとりあげるのはそれが統計学の学問的性格を直接対象にした大がかりな論争であったからである。もう一つは,筆者の主張を明らかにするために,マイヤー,チチェク,蜷川虎三,戸坂潤の見解を回顧する,とある。

 ソヴェト統計学論争の紹介といっても論点は多岐にわたることが予想されるとして,筆者は結論をあらかじめ要約している。「ソヴェト統計学論争は,従来ソ連統計学界で支配的だった英米派流の数理統計学=普遍科学に対する批判を行い,確率論と大数法則を基礎とせぬ,唯物弁証法と唯物史観を基礎とした社会科学的統計学の独立性を確認した。しかし,それは社会科学の方法論の一つとして統計学を基礎づけたものではなく,社会現象の具体的数量的側面を研究する独自の社会科学としてそれを位置づけたものであった。そのことが,逆に社会科学,特に政治経済学とは「独立」な数学的研究のソ連における流行の途をひらく結果をもたらした。わたくしは,統計学を社会科学の研究方法論(認識過程の理論)の一つとして位置づける見解をとり,統計学=独立科学説に反対し,統計方法を対象及び認識過程の一法則に照らして,研究することが必要であると考える」(p.3)。

 筆者はソヴェト統計学論争の紹介に先立ち,まず旧ロ時代および戦前のソヴェト統計を概観している。旧ロ時代の統計学では「範疇計算」を主張したジュラフスキーとレーニンの哲学,社会科学の思想,とくに「グループ分け」を基礎とした平均論について,それらが重要であると指摘されている。また革命後は,英米数理統計学が支配的だったことも指摘されている。他にボヤルスキー,ヤムストレムスキーによって主張された「統計学死滅論」,シュミットによる数理統計学的傾向に対する批判の業績,さらに大数法則の意義を強調し,数理統計学的立場を擁護したネムチーノフの紹介がある。

 次いで戦後のソヴェト統計学の概観が示され,そこではネムチーノフ,クレイニンらの修正数理統計学派の統計学の吟味がなされている。その理論の特徴は,大数法則の重要性の強調,補正平均の理論,レーニン・スターリン的な統計表の見方,統計解析の新方法の受容,チェビシェフの多項式の評価,とされている。

 以上を踏まえて,筆者はソヴェト統計学論争の本格的検討を,「1948年からの論争(第一期)」「1954年の論争(第二期)」に分けて行っている。第一期は1948年の無署名巻頭論文「統計学の分野における理論的活動を高めよ」から49年のコズロフ論文まで,「形式主義的=数学的偏向」の批判期である。批判の対象となったのはネムチーノフ『農業統計とその一般理論的基礎』とゴスプラン公認のクレイニン『統計学教科書』であった。無署名論文で指摘されたのは次の5点である。①政策課題の解決に必要な統計の諸問題に対するソ連統計学の立ち遅れの反省,②立ち遅れの原因の究明,③「形式主義的=数学的偏向」の原型としてのブルジョア的統計理論とその実践=ブルジョア統計の弁護論的性質の批判の指摘,④マルクス・レーニンの教義,ソヴェト統計の歴史的普遍化の必要の指摘,⑤旧ロ統計および統計学の業績の再評価の指摘。社会科学的統計学派と数理統計学派との対立が明確になったこと,統計学の実践からの立ち遅れの解決が喫緊の課題であるとの認識が形成されたことが,第一期の論争の成果であった。

 この論争は,コズロフの「統計学におけるブルジョア的客観主義と形式主義に反対して」(『経済学の諸問題』第4号)で総括された。この論文の主要内容は,立ち遅れの原因としての「形式主義的=数学的偏向」の批判,マルクス・レーニンの古典にあらわれた統計加工の経験の理論的一般化の問題であったが,これらをさらに細かくとりあげると,(1)一般理論統計学の否認と社会統計学の独立の確認,(2)理論的分析が統計的分析の基礎前提になるとの主張,(3)統計方法の適用が対象の過程の性格によって規定されるとの主張,(4)孤立的標識による形式的分析の批判,(5)現実を数学的図式と比較するという研究操作の批判,(6)確率論適用の吟味の諸論点からなる。

 コズロフのこの総括の前に,筆者は生物学の分野で展開されたルイセンコ論争(環境因子が形質の変化を引き起こし,その獲得形質が遺伝するというトロフィム・ルイセンコの学説に関する論争。及びそれに伴ったソビエト連邦における反遺伝学キャンペーン。メンデルの遺伝学をブルジョア科学として糾弾した)を,かなりのスペースをあてて紹介している。この論争ではネムチーノフが実質科学(生物学)に対する統計学の優位を主張し,ルイセンコがこれに偶然論哲学への反駁の形で応え,後にネムチーノフが自己批判した。筆者はルイセンコの「科学は偶然性の敵」とする見解に同意していない。またネムチーノフの自己批判が不徹底であったことは後に明らかになる)。もっとも現在,ルイセンコ学説を支持する研究者はいない。旧ソ連でも,この学説は否定された。

 次いで,筆者は1950年2月に中央統計局の実務家たちによって開催された「統計学の理論的基礎に関する会議」と1954年3月に科学アカデミー,中央統計局,最高教育省の共同主催による「統計学の諸問題に関する科学会議」での論争を検討している。オストロヴィチャノフが最終報告というかたちでまとめを行った。論者の主張は,およそ3つの考え方に集約された。(1)「統計学」=普遍科学=数理統計学説,(2)社会科学的統計学で「統計学=実体社会科学説」,(3)同じく社会科学的統計学で「統計学=社会科学方法論説」の3つである。(1)について,筆者はネムチーノフ,ピーサレフを代表的論者としてとりあげ,その主張の内容を解説している。(2)ではコズロフ的形態=社会数量側面科学説が解説されている。この派のなかに入るが,チェルメンスキー[=中央統計局]的形態=現象形態分析説が特別に取り上げられている点が興味深い(このグループは一方で統計学=実体科学説を支持しながら,他方で統計学と他の実体諸科学との区別では統計学の方法的特性を強調した)。(3)ではドルジーニン的形態=社会科学方法論説の説明がある。それぞれかなり詳しい紹介である。第一期の論争と比較すると,統計学の課題,対象,大数法則の位置づけ,経済学との関係など,具体的な議論展開になっていたことが注目される。

 節をあらためて,筆者は「オストロヴィチャノフ報告」を解説し,評価をあたえている。オストロヴィチャノフ報告は,先のコズロフの見解(統計学=実質社会科学)の延長線上にある。それは,統計学の対象,理論的基礎,統計学と経済学との関係,方法の点で,同一だからである。留意すべきは,数理統計学の位置づけに関して,社会経済関係の分析でのその役割は限定的だが,独立の科学としての生存権が保証されたことである。後者の評価が与えられたことで,その後のこの国の数理統計学とその応用の可能性に道が開かれた。

 最後に筆者は,ソ連での統計学論争が東独の統計学会に影響を及ぼした経緯,アメリカ統計学界,日本の統計学界での反応について,また統計学の学問的性格に関するドイツ社会統計学者,蜷川虎三,戸坂潤による見解に言及して擱筆している。
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