社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

世利幹雄「(資料)方法論における経済学史と統計学史」『富山大 教養部紀要<人文・社会科学篇>』第4号,1971年3月

2016-10-16 21:28:33 | 4-1.統計学史(総説)
世利幹雄「(資料)方法論における経済学史と統計学史」『富山大 教養部紀要<人文・社会科学篇>』第4号,1971年3月

 統計学史研究の意義や方法法については,経済統計研究会のなかで,かつて議論があったようである。それらは,広田純「統計学史についての若干の疑問」(「経済統計研究会」第3回総会,1959年),松川七郎「統計学史の研究方法について」(同関東支部例会,1960年),三潴信邦「統計学史は成立しうるか」(「経済統計研究会」第12回総会,1968年),佐藤博「統計学史の方法」(同関東支部例会,1969年)の,タイトルだけで示された記事があるので明らかであるが,どのような内容の議論だったのかは記録として残されていない。

この論稿はこれらとは独立に,統計学史の意義と方法を考察しようとしたものであるが,残念ながら未完成品である。全体は32ページの論稿であるが,社会統計学に触れた部分はそのうち最初の8ページで,後は参考として考察した経済学史の方法論をめぐる論争の紹介と検討である。末尾に「未完」とある。この論稿の中身は主として,統計学の定義が多様であるが社会統計学に関する学説が3類型あることの要約的記述と経済学史の方法をめぐる論争のまとめである。統計学史の方法論的展開部分の解説は,ほとんどない。読者が統計学史の方法論に関する議論を期待すると,その期待は満たされない。恐らく,筆者はこの論稿に続いて書かれた世利幹雄「統計学史研究の課題」(『統計学』第25号,1972年3月)に,統計学史に関する方法論の自説の展開を委ねたのであろう。

 筆者は冒頭で統計学の定義が多数あることを述べたE.エンゲルのハーグ国際統計会議(1869年)での報告を紹介した後に,現在,統計学の学問的性格についての見解は,実質科学としての統計学(実質社会科学説),一般統計学としての統計学(普遍科学方法論説),方法の学としての社会統計学(社会科学方法論説)の3つがあるとし,それぞれの沿革を解説している。実質社会科学説の代表はG.マイヤーの「統計学=精密科学」の考え方,ソ連統計学界の主流の見解である。普遍科学方法論説は17世紀中葉フランスのパスカル,フェルマによって築かれ,ラプラスによって集大成されたもので,その後ケトレーに受け継がれ,イギリスのF.ゴールトン,K.ピアソンの記述統計学によって継承された。さらにこの系譜は推測統計学の登場(ゴセット,フィッシャーの標本理論)をうながし,その基本的思考方法は非決定論,近代確率論に基礎をおくものであった。社会科学方法論説は蜷川統計学以降の京都学派の見解である。この統計学は蜷川統計学として知られ,筆者の説明によれば,統計利用者の立場にたった統計学で,統計の信頼性,正確性の吟味を重視した統計学である。この統計学の主要な主張点は,(1)統計学は社会科学の方法論の一分科である,(2)統計学は社会・経済統計資料の処理方法を固有の研究対象とし,(3)社会・経済統計資料が社会的・歴史的資料の一形態であり,それは社会現象の運動形態の数量的側面,とりわけ社会的経済的集団現象の運動過程の数量的側面を反映する,というものである。

 筆者は以上の3つの学説と並べて,社会統計学の学問的性格に実質科学説の立場から接近し,しかし従来のそれとは異なる大屋理論をとくにとりあげている。大屋理論とは,端的に言えば,現代社会の統計,統計調査,統計利用の諸特徴および諸形態をひとつの歴史的な社会現象として,社会科学の見地からこれらを反映・模写することを任務とする統計学である。したがって,統計学史の方法は,それぞれの時期の国家の統計作成・利用などの統計活動の歴史的社会的事情を反映した統計理論を学説とみなして編成すべきものである。

 この後24ページは,経済学説史の意義と方法をめぐる論争の紹介と検討である。ここでは,その部分の内容を筆者の叙述にしたがって,概略的に記すにとどめる。経済学史が経済学のなかでどのような意味をもつのかを検討することがここでの課題である。関係する学説史家,経済理論家がこの論争に介入している。経済学史方法論争の業績が一覧されている。論争は二期に分かれ,第一期は1952-61年まで,第二期は1962年からこの論稿が書かれた1971年までである。
 第一期の論争の発端は,経済評論社主催の「経済学の論理と人間の問題」(『経済評論』昭和29年4月号)で,平瀬巳之吉が経済学史研究について,それは「刺身のつま(・・)で,刺身は理論である」と述べたことであった。この見解は極論であるにしても,内容的には学史研究の独自の意義と,その現実的有効性をいかに論証するかの試金石を問うものであった。第二期の論争は,宇野学派からの問題提起で,経済学史を経済学の理論史ないし原理論体系成立史の研究という位置づけをめぐってなされた。時永淑,大内秀明が代表的論者である。

 経済学史の意義と方法をめぐる論争を以上のように整理し,筆者は節をあらためて「経済学史の意義」「経済学史の方法」の内容に踏み込んでいる。「経済学史の意義」ではまず,学史研究を独立の科学とみるか,経済学の補助科学とみるかで,類別している。独立の科学とみるのは出口勇蔵,水田洋など思想史研究者グループによって主張された理論と歴史との相互関係を重視する立場であり,補助科学とみるのは平瀬巳之吉,中村賢一郎などの経済史研究を理論経済学にたいする補助科学とする立場である。筆者はそれぞれの立場から出口と中村の主張をとくに取り出し,懇切丁寧な引用を行っている。積極的な主張があるわけではないが,筆者は前者の立場に親近性をもっている。  

 「経済学史の方法」では,杉本栄一の『近代経済学史』における学史研究方法の三類型に言及し,その紹介を行っている。杉本の三類型は以下のとおりである。第一類型は「過去の時代に属する経済学者たちを,学派別にまたは国別に,ほぼ年代順に並べて,かれらの生涯を語り,その主要な著書および論文の標題をかかげ,それらの著書および論文が執筆された時期や出版された年,諸種の版本の異同などを考証し,進んでは,その内容を概説するといった型」である。第二類型は「著者が正しい経済理論と考える理論の立場にたち,過去の経済学史は,この唯一の真理に向かって自己展開してきたものであるとみる型」である。第三類型は「経済の理論と歴史とはたがいに有機的に関連している,という根本的な考え方から,それぞれの経済学説を,それが生いたった社会の,全体としての歴史状況に照応させて理解する,という型」である。杉本は,以上の三類型のそれぞれに代表書,長所,短所を指摘し整理を行っているが,究極的には第一類型の研究は学史研究の準備段階に位置し,第二類型,第三類型を総合することが必要である,としている。筆者は杉本見解に同意しながら,第一類型が第二類型,第三類型の前提であり,それらに吸収されるものと解釈している。その上で,第二類型に方法論上最も近い見解を時永淑の「理論史的方法」を,第三類型に属する見解として出口勇藏の「思想史的方法」をあげ,それぞれの方法論的特徴を,これらの相互の批判を含めて,かなり詳しく考察している。

 筆者の中間的結論は,①「理論史的方法」と「思想史的方法」の立場からなされた相互の批判点はそれらの方法が脱却しえない特性であり,本来の学史研究という楯の両面を表しているので,相互補完的研究方法とみるべきこと,②これらの研究方法が経済学研究の進展度合をどのように考えるかに応じてとられるべきで,またその研究の目的に応じて採用されるべき研究の順序・手続方法を示すものと考えるべきであるという2点に落着している。
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