社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

高橋政明「現代統計制度の一原型-統計制度とケトレー-」『統計情報論』九州大学出版会,1995年

2016-10-17 15:07:39 | 4-2.統計学史(大陸派)
高橋政明「現代統計制度の一原型-統計制度とケトレー-」『統計情報論』九州大学出版会,1995年

 最初にケトレーとリューダーの簡単な紹介がある。ケトレーは1841年からベルギーの中央統計委員会委員長として重責を果たし,46年には第一回の国勢調査を実施した。また国際統計会議(1853年第一回会議)の活動をつうじて,各国に省庁間の調整機関である中央統計委員会の設置を進言した。筆者は従来ケトレーのこうした活動の基礎となる理論が明らかでなかったとして,その解明を本稿で目指すとしている。取り上げられた資料は,『道徳的および政治的諸科学へ応用された確率理論に就いての書簡』(1846年)である(以下,『書簡』と略)。

 他方,リューダーはドイツ社会統計学史では「リューダーの悲劇」というレッテルで知られる。「悲劇」の内実は,ドイツ国状論を支持したリューダーが論敵とした「製表派」および「政治算術家」の「卑俗な統計学」を論難し,かつその矛先を自らの依拠する「高尚な統計学」にも向け,ついには自らペシミスティックな崩壊にいたったという事情を差して言う。リューダーの統計学とはどのようなものであったのだろうか。筆者はそれを『統計学及び政治的並びに政治哲学の建設』(1812年)で検証しようと試みている。

 「1.リューダーの統計論」。リューダーは「卑俗」と「高尚」とをあわせておよそ統計学というものを否定する結論に達した。リューダーによると,統計学とは国家についての現状分析の学,政治学はそれを基礎とした政策の学であり,両者は密接不可分の関係にある。当時,ヨーロッパ諸国はナポレオンが復活し,フランス革命で芽吹いた自由と進取の気分が根こそぎ絶やされた状況にあった。リューダーはそうなった原因を政治にもとめ,さらに国家についての正確な知識を提供できなかった統計学をやり玉にあげ,統計学の崩壊を宣した。

リューダーにあっては,統計学は材料の蒐集とそれを利用・加工する学問である。最初に材料の蒐集にあたったのは教育ある有能な実務家であった。それが後になると様々な人々が材料の提供にあたるようになり,提供される材料の量的増大に反比例して質的に低下がみられた。学問の世界でも社会の現実に疎い書斎派の人々が支配的になり,多くの誤謬,弱点として現れた。誤謬,弱点の原因は統計報告の欠如にあるとされたので,統計報告あるいは数字報告が大量に集められ表に加工され,統計収集の熱狂時代が一時的に到来した。しかし,それは熱狂であって,リューダー的見地からすれば,真の解決をもたらすものではなかった。政治算術家たちは国家の力を知悉するためと称し,国土面積,人口,人口密度,国民所得,家畜頭数などの資料を得ようとし,万事を数字と計算によって解決できると考えたが,それは卑俗な統計家のすることである。統計家は物質的ものより,道徳的なものに眼をむけなければならない。

 リューダーは統計学の現状を,統計が何を記述するべきか,資料の正確さをいかに確保するかの二点で検討する。統計が何を記述するべきかでは,リューダーは「高尚な統計学」も「卑俗な統計学」も批判の対象とされた。「高尚な統計学」の代表者としてとりあげられたのがシュレーツァーであったが,統計学が国家の福祉向上のための国家顕著事項の記述と言っても,基礎的概念が曖昧で科学の体をなしていない。「卑俗な統計学」は基本勢力を知ることを全てとしたが,その主張は社会的現実によって覆されてしまった。もう一つの,資料の正確さに関しては,官吏の仕事が膨大になるにつれ,資料の質の低下がもたらされた。

 以下,筆者はリューダーによる,統計学が未来を照らすことができないとした理由,材料収集を統治者にゆだねてはいけないとした事情,「高尚な統計学」が探究しようとした知的・道徳的価値にまつわる問題,「国民の価値と高貴と品格」を認識する指標,人々の道徳性および知性を支配する原因もしくは事情について一つひとつ細かく祖述している。アダム・スミスの徒であったリューダーも民族を構成する諸個人の全体が「「見えざる手」に導かれていずれの方向に向かうかを見定めることなど思いもよらず,むしろ真理は細部に宿るとして,研究の在り方として事例研究の方向を示唆することとなった」事情が明らかにされている(p.78)。

 「2.ケトレーの統計論」。筆者は,通説が言うようにケトレーが国状論に否定的であったこと,ケトレー以後,国状論が政治算術にとってかわられてしまったとみなすこと,に反論している。『書簡』にも,ケトレーが国状論の延長線上にあることを示す叙述がある。ケトレーは,統計学が国家を対象とする観察科学と考えていた。彼にとっては,「政治史」「統計学」「政治学」は,そのまま「理論」「現状分析」「政策」という関係であった(リューダー的見地との親近性)。またケトレーは,社会に関する一般法則を示す「社会物理学」の構築も目指していた。さらにケトレーは,「統計学」の扱う対象を次の5部門とみた。①人口,②領土,③政治状態,④農業・工業および商業の状態,⑤知的・道徳的および宗教的状態(①から④はリューダーの言う「基本統計」に対応)。ただし,ケトレーはリューダーと比べ,オプティミストであり,行政における統計の利用可能性,統計の有用性に対する信頼,正確な統計作成への志向に前向きであった。筆者は,不完全な統計の利用に関するケトレーの姿勢を好意的に解説している。既存の統計を如何にして利用するかを問題としたケトレーは,それらがどのような事情で収集されたのか,統計作成に際しての作成者側と対象の側の問題の検討が重要として,これを「道徳的検討」と呼んだ(これに対し,観察数,平均値などの検討を「物質的検討」と呼んだ)。

ケトレーの統計学観には,確信がある。それは彼個人の個性だったかもしれないが,当時の社会的背景を考えなければならないと筆者は,主張している。すなわち,当時のベルギーでは独立革命から15年を経過し,自らの目指す方向へ向かって歩みだし,ヨーロッパは安寧を取り戻していた。このなかで,ケトレーは統計で社会変化を見通すことができるとし,統計が何を把握すべきか,また政府は如何に正確な統計を作成できるかという問題に確信をもって取り組むことができた。その自信が彼をして,ベルギー中央統計委員会や国際統計家会議での活動へと向かわせた。

 もう一点,筆者が強調していることは,「リューダーの悲劇」に象徴されるように,彼の統計学破産宣告のみが往々に指摘されるが,そうした評価ではなくむしろ,ケトレーが構築した政府統計論の基礎をリューダーの議論が準備したという点を重視しなければならないとしている。このことを筆者は,「ケトレーは,特に政府統計論および道徳統計論の領域において,リューダーを踏み台にすることによってはじめて,統計学史上一歩抜きんでることができた,と言えるだろう」と表現している(p.87)。
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