社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

松川七郎「序章 主題について」『ウィリアム・ペティ』岩波書店, 1958年

2016-10-17 15:27:25 | 4-3.統計学史(英米派)
松川七郎「序章 主題について」『ウィリアム・ペティ』岩波書店, 1958年

 政治算術で有名なウィリアム・ペティ(1623-87)に関する文献のなかで, 本書は最も詳しい最良の書であるが, その劈頭の「序章 主題について」で, 概要が与えられ, 筆者の問題意識が述べられている。本書はまず「一橋大学研究叢書」として, 上下の2巻本として上梓され, 後に増補が行われ, 一冊の単行本として刊行された。大部の書籍なのですべてを読みつくすには根気がいるが, この序章を読むだけでもペティがどのような人物であったがわかる。

 本書はペティについての書であるが, 同時代の人物で, また終生の友であったジョン・グラント(1620-74)の人となりにも触れられている。というより, ふたりはほとんど一体となっていた時期もあったようで, グラントの主著『死亡表に関する自然的および政治的諸観察』に関しては, それが本当にグラントによって書かれたものなのか, あるいはペティの執筆だったのか, 長く論争になったこともあったほどであった(後代の研究で, この著作はグラントとペティの共同著作だということがわかった)。

 それはともあれ, ペティもグラントも, 17世紀の人物で, アダム・スミスのちょうど100年ほど前に生き, ペティは近世経済学, 統計学, 財政学, 人文地理学, 計量経済学の創始者として, グラントは近代統計学の創始者として位置づけられている。ふたりが活躍した政治算術=解剖という分野は, 現代統計学の3つの源流のうちの一つの源に数えられている(「政治算術」という用語を, ペティが創始し命名した「政治的解剖」と一体のものとみなして, 「政治算術=解剖」と呼んでいる)。

 筆者は, ペティの子孫で, 『ペティ未完論文集』の編集者だったランズダウンにならって, 彼の生涯を4期にわけている(p.4)。この区分は, 市民革命のイングランドの社会発展段階と対応させたもので, 非常に参考になる。
 (1)市民革命の前夜(少年時代 1623-40), (2)市民革命=内乱時代(1640-49), (3)市民革命=共和国時代(少年時代 1649-60), (4)王政復古時代(1660-87)。この間, ペティはこの分ごとに船室ボーイ・にせ行商人, 水兵・発明家・医者・ブレイズノーズカレッジの評議員・副学長, 土地測量家・下院議員, 大土地所有者・哲学者・統計学者および経済学者など, 人生行路をたどっていったということである。

 旺盛な執筆ぶりも際立っていた。『租税論』(1662), 『賢者に一言』(1691), 『政治算術』(1690), 『アイァランドの政治的解剖』(1691), 『アイァランド論』(1699)。これらの筆者では, 王政復古時代のイングランドが当面した諸問題に触発されて書かれ, いずれもイングランドにおける社会的生産力=国富の増進を主題とし, この時期の原始的蓄積の諸契機の全部または一部が論じられている(p.8)。これらはペティの書いたもののなかで最も重要であるが, しかし, 一部に過ぎない。後代になって(19世紀の後半から20席の前半), ハル編『ペティ経済学筆者集』, 前述のランズダウン編『ペティ未完論文集』, 『ペティーサウスウェル書簡集 1676-1687』が刊行され, かなり整理された。筆者はそれらの内容を要領よく, かなり詳しく, 紹介している。

 ペティは(そしてグラントも), 生前から, その業績は高く評価されていた。このことは, ペティが王位協会(実験精神こそ自然と対峙する唯一の方法だとする自然科学者のサークルを母胎に成立)の設立にかかわり, グラントがその設立当初の会員であったことからもうかがいしれる。筆者自身は次の文言で, 彼らを評価している, 「グラントの成果の発展としてのペティの政治算術=解剖の特質は, それが政策的意図においては明らかに重商主義のそれと軌を一にしながらも, なおかつその究極の目的を『人民・土地・資財・産業交易の真実の状態』の認識, つきつめていえば幼年期の資本主義社会における富の実体の認識においていたこと, ことばをかえていえば, 一国の社会的生産力に着眼し, この統一的視点にたってすぐれて数量的に社会経済現象を観察し, その数量的諸関連を媒介とする推論をつうじてえられた労働価値理論の萌芽を包摂していたことにある。つまり, グラントの発見したものがこの社会における数量的規則性であったのに対し, ペティが発見したものはこの社会を支配する質的法則性であったといわなければならない」と(p.19)。このような評価を与えた筆者は, さらに進んでペティの研究成果が, 大陸にわたって(かなり俗流化されたが), 影響を及ぼしたこと(ジュースミルヒ, アッヘンワル, ケトレー), またマルクスやシュンペーターによって高く評価されたこと, に言及している。

 本書の全体は, ペティ=グラントの政治算術=解剖の生成過程を考察することを課題としている。この時期, 社会科学はいまだ未分化であり, 諸科学の萌芽を胚胎していた。したがって, その過程の考察を課題としてとりあげるということは, とりもなおさず現代の社会的諸科学をその分化以前の始原にひきもどして検討することであり, 同時に当時の科学の基本的な社会的諸条件を明らかにすること, 諸々の歴史的制約をまた諸科学の原型を明らかすることを意味した。
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