社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

郡菊之介「物価指数の沿革-19世紀末葉に至る世界主要物価指数の方法的及び実体的観察-」『物価指数論』同文館, 1929年

2016-10-16 11:43:55 | 9.物価指数論
郡菊之介「物価指数の沿革-19世紀末葉に至る世界主要物価指数の方法的及び実体的観察-」『物価指数論』同文館, 1929年

 17, 18世紀の, さらに19世紀の物価指数作成の試みが, 紹介されている。付言に, この章の叙述は, J.L.Laughlin, The Principles of Money, N.Y.1919 に依拠したことが大だった, とある。

 本論に入るがまず, 17, 18世紀は, いわば物価指数作成の黎明期であり, 最初にそれを作成したのがイギリスのボーアン(Rice Vaughan)だったこと[1675年], 次いで, 僧正フリートウッド(Bishop Fleetwood)[1707年], エベリン(Sir G.S.Evelyn)[1798年]が続いたことが紹介されている。フランスでの指数作成の嚆矢は, デユト(Dutot)指数であった[1738年]。さらに, イタリアではカルリ(Carli)が1764年に, 単純算術平均を使って指数計算を行った。カルリの算式は, 現在でもカルリ指数として知られている。アメリカでの物価指数はマサチューセッツ州で1748年に作成され, これが行政目的で作成された物価指数の最初であるといわれている。以上が, 物価指数作成の「序曲的研究」(郡)である。

 19世紀に入ると, 物価指数の作成はさらに顕著となる。この世紀には金鉱の発見, 度重なる戦役による通貨価値の変動で, モノの値段の変動が大きかった。イギリスでは, ヤング(Arthur Young)[1812], ジョセス・ロー(Joseph Lowe)[1822], スクロープ(G. Poulett Scrope)[1833], ヘンリージェームス(Henry James)[1835], ポーター(G.R.Porter)[1838], ニューマーチ(Newmarch)[1869‐], バーン(Bourne), パルグレーヴ(R.H.I.Palgrave), さらにジェヴォンス(W.Stanley Jevons)[1863, 1865], マルホール(Mulhall)[1885], サワーベック(Augustus Sauerbeck)[1886], アトキンソン(F.J.Atkinson)[1897]が続く。なかでもジェヴォンスの研究は, 指数の算式に幾何平均を用いたこと, 計算のための準備が周到だったこと, など画期的なものだったことが紹介されている。ボーレーは, ジェヴォンスを「指数の父」と呼んだ。また, マルホールは指数計算にウェイト(この論稿では「評量」と書かれている)を導入した。イギリスは, この頃, 物価指数の実際作成と理論で, 先駆的な位置にあったことがわかる。

 ドイツでは, ラスパイレス(E.Laspeyres)[1864], パーシェ(H.Paasche)[1874], ボルヒト(R. van der Borght)[1882]の試みがある。これらの研究は研究者が単独で行っているが, ハンブルクの物価指数の作成という事業を継承し, 充実化させている。この点に, ドイツにおける研究の独自性がある, と書かれている。ドイツではこれらの他に, コンラド(J. Conrad)[1887, 1899, 1900], クラール(Franz Kral)[1877], ゾートベーア(Dr. A. Soetbeer )[1885‐6, ]の研究があり, とくにゾートベーアの研究が重要視されている。

 さらに筆者はフランスでの研究(フォヴィール[A de Foville], パルグレーブ[R. H. Inglis Palgrave]), スイスでの研究(ワルラス[Leon Walras]), アメリカでの研究(アルドリッチ報告[1893], フォルクナー[Roland P. Falkner])について触れ, 最後に日本での日本銀行, 農商務省での物価指数作成に言及している。

 叙述は平板であるが, 本文ではそれぞれの指数がどのような品目をとりあげたか, また計算結果も一覧してあるので, 概観するには手ごろである。
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