社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

多尾清子「ナイチンゲールと統計学-ファーとケトレーとの交流から-」『統計学』(経済統計学会)第64号, 1993年3月

2016-10-17 20:17:57 | 4-3.統計学史(英米派)
多尾清子「ナイチンゲールと統計学-ファーとケトレーとの交流から-」『統計学』(経済統計学会)第64号, 1993年3月

ナイチンゲールは, クリミア戦争に従軍し, 看護活動にあたったことでしられている。そのナイチンゲールは, 統計学にも深い理解をもち, 当時の医療統計の杜撰さを指摘したばかりでなく, 積極的に医療統計の改善に寄与した。これに関連した膨大な資料がロンドンの大英図書館にあり, 筆者は実際にそれらにあたって, ナイチンゲールの統計活動に対する認識を深めた。本稿は, ナイチンゲールの統計学を, 同時代を生きたふたりの偉大な統計学者ファーとケトレーとの交流に焦点をしぼって, 紹介した論文である。

 裕福な教育環境のよい家庭に育ったナイチンゲールは, 若いころから数学などに関心をもっていたようである。向学心の強い女性だった。

 彼女の統計学の分野での業績は(統計利用としてのそれだが), クリミア戦争に従軍したおり, 陸軍病院の実情を統計で明らかにし, 英国陸軍の衛生改革, ひいては民間の病院管理および疾病や死亡統計の改善に結実させたことである。また, 植民地の原住民や植民地学校と病院に関する統計資料の収集とその分析で貢献した。他にも, インド駐留英国陸軍のためにも, インド国民全体の衛生改革が必要と考え, 多大な尽力を行なった。
筆者はそのナイチンゲールが統計分野で協力関係にあったファーとケトレーとの交流を浮き彫りにしている。

 ファーはイギリスの公衆衛生の業務にたずさわり, ロンドン統計学会や科学振興会の会員であり, 当時の利用できる数少ない統計資料を収集し, それも一般利用に先立って提供できる立場にあった。そのファーはナイチンゲールの統計関係の仕事に協力し, 支援した。ナイチンゲールにとってファーはかけがえのない統計学の信頼できる先達であった。

 ナイチンゲールがケトレーに出会ったのは, 1860年の第4回国際統計会議であった。ここでの出会いを契機に交流が始まり, 著作を相互に献本したようである。ナイチンゲールは, ケトレーの『社会物理学』を読み, 書き込みをして勉強した。その本は, 上記の大英図書館に収められているとのことである。

 筆者はナイチンゲールの業績の一部として, 大英図書館でスライドにしてもちかえったナイチンゲール作成の図を紹介している。「東方の陸軍病院における英国兵士の死亡率」「スクタリにおける病院患者の死亡率」「東方駐留陸軍の死亡率グラフ」である。

 ナイチンゲールの統計観, 科学観は, 「当時統計学を基礎にすえて社会学の新しい領域を研究開発したケトレーのそれに触発されたものであり, その基本とする考え方は, 個人の集合体である社会が恣意的思念や行動による偶然性の混淆の渦をなしているにもかかわらず, 全体として一定の期間を通じてみるとき, はからずも偶然性が消失して一定の規則性を示すことが, 大数に基づく統計的事実によって実証され得ることから, それらの原因の把握を通じて社会の改革が可能とした」というものであった(p.7)。彼女はその規則性を神の意思(法則)とみた。

筆者には, この論文とは別に『統計学者としてのナイチンゲール』医学書院(1991年)がある。そこには, 従軍看護婦として著名なナイチンゲールが統計学の分野でいかに大きな業績を残したかが詳しく解説されている。
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