社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

大橋隆憲「日本における統計学の発達・現状・課題」『経済評論』1960年12月

2016-10-08 21:20:31 | 11.日本の統計・統計学
大橋隆憲「日本における統計学の発達・現状・課題」『経済評論』1960年12月(臨時増刊)

「1.日本における統計研究の発展」「2. 日本における統計研究の現状」「3.統計研究の今後の課題」の3節構成である。日本資本主義の歴史的経過を意識しながら,昭和期(とくに戦後の)日本の統計学の発達,現状,課題を概観している。論点は,統計調査史,統計利用史,統計理論(批判と技術)史である。上記の節のうち,「2. 日本における統計研究の現状」「3.統計研究の今後の課題」がメインテーマで,実際に読んで興味を惹かれる。これらに先立つ,統計の歴史が予備的考察として,古代国家の統一のもとでの人口調査記録,太閤検地,明治維新の地租改正から書き起こされているが,その部分は序奏である。明治に入ってからは,外国の統計学が移植された。その後の統計学の発展過程は5期に分けられ,各期の目立った業績の紹介と若干のコメントがある。

 第1期は先進資本主義国の経済学説が資本の原始的蓄積期に移植された時期で,統計学の分野では杉亨二[1828-1917](最初の近代的統計調査の開発者であり,ドイツ社会統計学の最初の紹介者),呉文聰[1851-1918]の活動が紹介されている。第2期は産業資本の確立期で,社会問題の解決を主要課題とする学問としてドイツ社会政策学派の理論が移入された。高野岩三郎[1871-1949],財部静治[1881-1940],藤本幸太郎[1880-1967]が代表的統計学者である。第3期は金融資本の確立期で,マルクス主義経済学とオーストリア学派との対立期である。統計学分野で大きな成果を上げたのは蜷川虎三[1897-1981],有澤広巳[1896-1988],高橋正雄[1901-1995]などである。オーストリア学派,ローザンヌ学派の影響を強く受けた研究者に,中山伊知郎[1898-1980],森田優三[1901-1994]がいる。この時期に第19回国際統計協会会議が日本で開催され(1930年),日本統計学会が創立した(1931年)。第4期は国家独占資本主義への移行期であるが,統計学分野で主たる成果はない。筆者はしかし,近藤康男[1899-2005]の指導した農林統計調査の大改正(1941年),九州大学理学部の統計科学研究会の設立(1941年2月),統計数理研究所の設置(1944年6月)に言及している。第5期は大戦後の独占資本の再編期に相当し,独占資本に奉仕する実用主義的近代経済学と労働者階級のためのマルクス経済学との対立期であった。

 この第5期における動きが,以下,詳しく論じられる。ポイントは,日本の戦後の統計および統計制度が占領軍の指導のもとにアメリカ化されたことである。その具体的な内容としてあげられているのは,(1)統計制度の近代化,(2)サンプリング調査と数理統計の技術と理論の強力導入,(3)近代経済学の諸理論と諸概念による官界,学界の制覇として要約されている。その露払いの役割を担ったのは,いわゆる社会民主主義的マルクス主義(労農派)系教授団であった。彼らは,中山伊知郎を代表とする近代経済学系の学者と結んだ。筆者は,こうした事情を背景に統計調査史上,統計利用史上,統計理論史上の成果と貢献を評価するために,「Ⅰ官庁および独占資本の統計役職員」「Ⅱ数理統計学者(技術派,理論派,実用派)」「Ⅲ社会経済統計学者(近代経済学者,マルクス経済学的社会統計学者,その他)」に分けて考査している。以下,その解説である。

 「Ⅰ官庁および独占資本の統計役職員」。敗戦後の日本の統計制度再建にあたり,大内兵衛は統計委員会の委員長に就任し,各省の統計部課を強化したが,長続きせず何度かの行政整理で組織は縮小化され,1952年には統計委員会が廃止され業務が行政管理庁統計基準部に引き継がれた。これは日本の統計行政の保守政治への従属強化のプロセスに他ならなかった。この動きに対し,行政職員のなかから日本の実態にそくした統計を作成しなければならないとする意識がたかまり,全労働省労働組合総連合の『失業白書-失業者の実態と政府失業対策の本質』(1949年),日本労働組合総評議会『官庁統計のぎまんをつく統計の闘い』(1954年),労働調査協議会・関西労働調査会『労働組合の調査活動』(1957年)などが注目される。

「Ⅱ数理統計学者(技術派,理論派,実用派)」。戦後の数理統計学者の動きとして注目されるのはまず,北川敏男を委員長とする「統計科学研究会」の発足(1941年4月),軍部の指導の下に文部省に設置された「統計数理研究所」(1946年6月)である。その後,「標本調査の黄金時代」が到来するがこの動きを牽引したのは北川敏男,増山元三郎の推測統計学推進派であった。彼らの活動はアメリカ占領軍の指導と結びつき,日本の官庁機構に加わった近代経済学者と連携し,推計学と標本調査の推進と定着に邁進した。標本調査とその技術は官庁が主宰する統計調査だけでなく,企業内部の品質管理,企業外情報入手のための市場調査,世論調査にも多用された。標本調査に対する幻想は,数理統計学者においてはいうまでもなく,一部のマルクス主義経済学者(豊田四郎)をも虜にしたが,その受け取り方についての思想的混乱は次第に落ち着きをみせ,数理統計学者の一部に事態を冷静に反省する機運があらわれた。この面で大きな役割を果たしたのは,坂本平八,津村善郎であった。津村理論は森下二次也によって「技術的標本理論」と特徴づけられた。津村自身は技術という狭い枠内で数学的方法の意義を唱えただけであったが,今度はここから推計学の対象的不限定性,技術的中立性が前面におしだされ,上杉正一郎,広田純,その他の社会統計学者はこれに対する疑義を唱えた。

「Ⅲ社会経済統計学者(近代経済学者,マルクス経済学的社会統計学者,その他)。近代経済学者のなかで一般均衡理論の実証あるいは現実分析にとりくんだのは,山田勇,市村真一などである。またケインズ系の経済学者は,統計調査史上,統計利用史上,大きな足跡を残した。財務金融関係の業務統計の整備,国民所得統計の整備などの分野でそれが顕著であった。エコノメトリックスの分野では,外国の模造品が氾濫している。

筆者はマルクス主義的社会統計学者を社会民主主義の立場にたつ学者とマルクス・レーニン主義の立場にたつ学者とに分け,前者に対してかなり厳しい評価をしている。社会民主主義の立場にたつ学者は有澤広巳,高橋正雄,美濃部亮吉などである。筆者によれば,彼らは統計の吟味・批判に重点をおくのではなく,既存の統計の意味を探ることに関心があり,一応マルクス経済学の立場にたつかのように見えるが,近代経済学の概念や理論モデルに関心がある。また,社会集団論を基礎とする統計理論をもたず,業績の主要な内容は統計解析法を中心とした技術論である。これに対し,マルクス・レーニン主義の立場にたつ学者は,官庁統計調査に対する直接的寄与はなかった。彼らの仕事は官庁統計の階級性,欺瞞性,非科学性に対する批判である。その代表的業績は,上杉正一郎の『マルクス主義と統計』(1951年)である。しかし,多くの研究は現象ないし法則性の説明的・記述的利用の範囲を出ていない。そうした消極的な統計利用に飽き足らないものは,積極的に数量的合法則性の摘出と検証,統計利用による法則性の理論的定式化に向かっている。統計理論上では,戦後,満足な成果があがっていないが,内海庫一郎は蜷川統計理論の機械論的,非弁証法的,非歴史的性格を指摘し,その克服を課題として提起した。しかし,この課題は未解決である。この他,ドイツ社会統計学派の影響を受けた研究は地味に続けられている。高岡周夫,有田正三,関弥三郎の尽力による。筆者は浦田昌計によるドイツ大学統計学派の研究,松川七郎による政治算術の研究に注目している。

 以上を踏まえて,統計研究の課題は何か,ということになるが,本稿が執筆された時点(1960年)で言えることは,日本の統計学は依然として輸入学問になっているので,その後進性の克服が重要であるとの指摘がある。大内兵衛が自身の回顧録のなかで述懐しているように,日本で実際に必要な統計は何なのかを明らかにし,日本的な統計を作成することが重要であるというのが筆者の見解である。日本の統計学界はアメリカの直接的影響下にあり,さりとてソ連の統計学論争(その実質科学的視点での結論)は日本の統計学の水準に新しいものをほとんど付け加えることがなかった(ただし,筆者はソ連の統計理論の今後の動向につき,統計学の基礎に社会科学を置くという正当な基本的視点と,現実処理に数学的手法を導入したいという実践的要求とを統一的に捉える視点が出てくることに期待をかけている)。筆者は日本の労働者階級の利益を守る統計学は,少なくとも(1)労働者階級の状態と運動,(2)資本家階級の状態と政策,(3)日本資本主義の動向,を具体的かつ数量的に明らかにするものでなければならない,としている。
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