社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

是永純弘「統計的合法則性についての一考察-N.K.ドゥルジーニンの見解について-」『経済志林』30巻4号, 1962年

2016-10-17 21:30:04 | 5.ロシアと旧ソ連の統計
是永純弘「統計的合法則性についての一考察-N.K.ドゥルジーニンの見解について-」『経済志林』30巻4号, 1962年

 この論文の目的は, 旧ソ連の代表的統計学者だったN.K.ドゥルジーニンの統計理論を, 社会科学的法則認識において統計的法則の定立が占める位置と役割に関する問題点を考察する点に重きをおいて, 検討することに定められている。いくつか, 補足すると, まずドゥルジーニンは, 社会科学方法論説(統計学の対象を社会科学の研究方法論とみる立場)に立脚する統計学者である。筆者もそのように理解しているが, 理論の内容を点検すると, 普遍科学方法論説(統計学の対象を自然および社会の諸現象の研究方法とみる立場)に傾きかねない兆候がみられる, としている(現にその後, ドゥルジーニンはそのように傾斜していく)。次に, 統計的法則とは何かについてであるが, それは多数事例を集めて一団としてその数量的性質を明らかにする統計的研究によって得た結果である。

 さて, そのドゥルジーニンは, 統計的規則性を社会科学方法論説の立場からどのように理解していたのであろうか。要約すれば, ドゥルジーニンの統計的規則性の理解は, それを現象的規則性として, 経験的性格のものととらえ, 社会科学的研究における認識の一段階と位置づけた。統計的合法則性は現象の表面にみられる規則性にすぎず, それだけで単独にはその本質・因果性を明らかにしうるものではない, のである。この範囲で, ドゥルジーニンは当時多数派だった統計学の対象を社会現象とみる実体科学説と一線を画し, そうした理解に批判的姿勢をとった。この限りで, ドゥルジーニンの所説は正当なものだったといえるだろう。

 しかし, 問題はそこから始まる。ドゥルジーニンの難点は, 統計的合法則性の客観性について, 自然科学的な統計法則(たとえば物理的統計法則)と社会科学的なそれとの区別を見失い, 両者を大数法則にもとづいて位置づけることになり, 結局は, 社会科学的法則認識における統計的材料加工の意義(本質的現象の摘出)を見出しえない法則論にとどまったことにあった。物理的統計法則の発現の仕方は, 社会科学における大量観察の結果としての統計的法則のそれとは異なる。物理学的実験では観察する回数が多数回であるかどうかは, そこで把握された法則が統計的法則であるかどうかとはかかわりがない。回数の多少よりもその一回的な確度が重要である。認識された法則が客観的統計法則であるのは, そこに適用された方法が統計的方法だったからではないにもかかわらず, ドゥルジーニンにあっては「統計的法則という場合の統計的とは, 実はこの研究方法が統計的だということ(集団観察法だということ)を指す」ことになってしまっている。換言すれば, 「十分に多数回の観測を行う」ことと, 「偶然性を大量においてとらえる」ことは同じことではない。大量観察と大数観察とは別の事柄である。

 以上を要約して, 筆者は「ドゥルジーニンは, 統計的方法の原理を大数法則のうちに見出す限りにおいて, 統計的認識の結果が社会科学における法則的認識の材料たりうるために, この認識の結果が社会科学における法則的認識の材料たりうるために, この認識がとるべき方法構造の現実を積極的に与えることができなかった」とし, さらに統計的合法則性の実質的意味をということの重要性の指摘と例示をおこない, それらから導き出された教訓として「・・・統計解析(加工)の終点に統計的法則を設定し, それから先の理論的分析=本質的因果関係の発見への道を閉ざす如き統計加工論に反対する」との主張で結論とし, 本稿を閉じている。
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