社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

成島辰巳「現代の統計的代表値論(第6章)」『社会科学のための平均論』法政出版, 1995年

2016-10-17 15:06:27 | 4-2.統計学史(大陸派)
成島辰巳「現代の統計的代表値論(第6章)」『社会科学のための平均論』法政出版, 1995年

 筆者は, この章で, 従前のケトレー, エンゲル, マイヤー, チチェク, フラスケムパーの統計理論と統計的代表値(平均)論をふまえ, 自身のそれを要約し, 問題提起している。

 最初に統計的代表値の定義が確認されている。マイヤーは統計的代表値について, 次のように述べている, 「統計系列の中に示されている社会集団の様は諸項の展開を注意深く研究することによって捉えられる。しかし系列の項数が多ければ, 全体を概括するような必要に迫られる。かくて, 系列中に示された数多の代わりに, それ自体の中に完全な総結果を概観せしめるような一個の簡単な表現が見出される」と。統計的代表値(代表値一般ではない)は「個別値の統計的系列によって一義的に規定され, 系列の両極値の中間にあり・・・そしてさらに直観的・事物的に重要な意味が一致するところの個別値からなる統計的系列の集中的表現」と。また, チチェクは, 統計的代表値の目的を4点にわたって整理している。すなわち, ①それ自身が目的としての平均値, ②比較目的としての平均値, ③個別値を評価する尺度としての平均値, ④系列の分散を測定するための平均値。さらに, フラスケムパーは統計的代表値を次のように定義している, すなわち統計的代表値(代表値一般ではない)は「個別値の統計的系列によって一義的に規定され, 系列の両極値の中間にあり・・・そしてさらに直観的・事物的に重要な意味が一致するところの個別値からなる統計的系列の集中的表現」と。筆者は, マイヤー, チチェク, フラスケムパーの統計的代表値に関する所見を引用した後で, 日本では関弥三郎が統計的代表値について適切な言及をおこなっていると述べている。

 総平均の虚構性は誰もがみとめることであるが, 重要なことはグループ分けを統計的代表値論にきちんと位置づけることが大事である。グループ平均は, 総平均の虚構性を批判する武器である。グループ平均には平均の同質性を保証する点から, 集団の同質性が問われる。

 筆者はさらに平均の補償機能の議論, 位置上の平均でメジアン, モードとともに, 「分界値」「最重値」をくわえてもよいのではないかと問うている。「補償機能」はフラスケムパーの命名によるもので, 系列の個々の値の多様性を, その全体の効果において同一の結果に導く, 同じ数のしかし相互に等しい大きさの項によって置き換えられる。「分界値」は, 代表値の上にある値と下にある値との総和を等しくする値である。「最重値」は, aで個々の値を, zでその度数をあらわした場合に, a×zが最大になるような場所を示す値である。いずれもフラスケムパーの発想によっている。

エンゲル, マイヤーがとりあげた中位の概念は, 統計的代表値論のなかで十分に検討されてこなかったが, 現実分析(中間階級, 中流意識のそれ)ではこの概念は重要である。

 経済学で統計的代表値の実質的意味を反映するものとしては, マルクスの平均利潤率, 社会的平均必要労働などがあるが, これらの計測は困難である。計測可能なものとしては, マーシャルにみられる平均などをあげることが可能である。マーシャルの「代表的企業」は, ケトレーの「平均人」にみられる「典型」につうじる(山本正の指摘)。

 統計的代表値論の議論は, 低調である。今後の課題を含めて, 筆者の整理は意義のある問題提起と読み取れた。
若干違和感があったのは, 統計的代表値と平均とを同じものとして筆者は叙述しているが, 果たしてそれでいいのだろうか。幾何平均は, 統計的代表値なのだろうか。もう一つ。末尾で, ジェヴォンスとマーシャルの経済学を比較して, 後者が前者よりも現実的であったのは, マーシャルの分析には代表的企業の概念があったのに対し, ジェヴォンスはモデル分析に適合的な経済学であったと筆者は指摘しているが, そこまでの叙述に一切, ジェヴォンスの名前は登場していないので, やや唐突な説明のように感じた。
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