社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

山口秋義「統計報告制度の試み(1919-21年)」『ロシア国家統計制度の成立』梓出版社,2003年

2016-10-17 21:52:27 | 5.ロシアと旧ソ連の統計
山口秋義「統計報告制度の試み(1919-21年)」『ロシア国家統計制度の成立』梓出版社,2003年

 旧ソ連の時代から,この国の統計制度の特徴は,報告制度にあった。筆者は本稿で,報告制度が何を目指していたのか,初期にどのような状況にあったのかを明らかにしている。筆者が書く結論は次のようである。

(1)報告制度は,全国の工業企業を対象とした調査を毎月行うことを目的とした。しかし,工場管理部から提出された調査票の集計作業の量は,県統計局の力量を上回っていたために,集計作業が進まず,1921年にはその継続を断念した。定期報告にもとづく統計作成は,失敗した。

(2)多くの統計家は統計問題評議会が統計組織における最高権力機関であるべきと考えていたが,この評議会の実際上の活動は形骸化し,それに代わって中央統計局参与会に統計組織の権力が集中し,後の統計組織の政治への従属の端緒となった。

(3)集中型統計組織の機能は,工業現況統計の作成経路が調査統計としての国家統計組織の情報収集経路から,最高国民経済会議各総管理局に業務統計として収集されていた情報を中央統計局が入手する経路へと転換したことにみられるように,この時期,定着しなかった。

 筆者は,以上の結論を歴史的資料にあたって,明らかにしている。工業現況統計部部長ドゥボヴィコフ報告によれば,中央統計局が工業現況統計に関する資料を得る経路は2とおりある。一つは,最高国民経済会議の諸最高指導機関と諸総管理局から,業務記録として収集された情報を得る経路であり,もう一つは県統計局が各工業企業から聞き取り調査によって得た情報を集計し,中央統計局に提出する経路である。ドゥボヴィコフはこのうち,前者は実際上困難なので,一定の不安はあったが後者の経路が有効とした。ドゥボヴィコフ報告に対しては種々議論があったようであり,とくに中央統計局と最高国民経済会議の諸最高指導機関と諸総管理局との関係をめぐって議論が交わされた。

 中央統計局付属第一回全露統計協議会(1918年10月)の決議を受け,中央統計局参与会が継続審議にあたった。1918年11月21日に開催された参与会では,法令草案「国家工業現況統計について」がドゥボヴィコフによって提示され,議論の末(中央統計局,最高国民経済会議,労働人民委員部の関係,工業現況統計作成に関わる組織編制など),承認された。さらに同法案は,人民委員会会議でレーニンの署名のもとに,公布の運びとなった。同法令は,中央統計局による調査統計としての国家統計活動に関する諸規則を示したものである(調査単位,調査周期,情報伝達経路,調査票[A,Б])。

 中央統計局工業現況統計部は,この法令のもとに活動を開始した。しかし,そこには多くの困難が待ち受けていた。工業企業の工場管理部から県統計局への報告提出が不完全であっただけでなく,県統計局の人員不足により集計作業が遅滞した。当初,毎月の報告にもとづいて統計作成が予定されていたが不可能であることがわかり,半年ごとの集計へと転換された。調査票の回収が不足し,調査未実施の県が続出した。これを受けて,1921年には工業現況統計の情報収集経路が大きく変更された。すなわち,中央統計局工業現況統計部は,県当局からの毎月の報告を入手することを断念し,最高国民経済会議の諸総管理局から業務実用現況統計として取集された情報を毎月入手する方式に変更した。

 筆者はこの後,中央統計局の各機関が,中央と地方とでどのように編成されたかを追跡している。これ以降の叙述は議論の展開が必ずしも明晰でなく,論旨をたどりにくいが,言わんとしていることを拾うと次のようなことになるだろうか。
第一回全露統計協議会(1918年10月)では,県統計局内に10の課を設置することがきめられた。これに先立つ1918年9月15日付人民会議布告「地方統計機関組織に関する規則」では,県における統計調整機関としての県統計問題評議会,県統計家大会,県統計協議会の設置が決定された。また,中央統計局付属統計問題評議会は,1918年7月25日付人民委員会布告「国家統計について(法令)」第10条,1918年9月26日付「中央統計局付属統計問題評議会に関する法令」にしたがって設置された。
統計問題評議会は当初,統計機関の最高意思決定機関であり,政治から独立すべきとされたが,その後の人民委員会会議における法案の検討過程で統計問題評議会の政治からの独立は否定され,人民委員会布告「国家統計について(法令)」で統計問題評議会は人民委員会会議に付属となった。

 中央統計局付属統計問題評議会の初期の活動をみると,この組織の統計調査機関に対する影響力は弱く,統計調整機関としても役割を果たしえなかった。これに対し,中央統計参与会は定期的に会議がもたれ,例えば人民委員会会議報告「国家工業現況統計について(法令)」の草案が参与会の議論だけを経て作成されたことからもわかるように,統計組織において実質的な意思決定機関として機能した。

 筆者は統計問題評議会の形骸化と参与会への権力の集中とによって,後の統計機関の政治への従属の端緒がつけられた,とみている。
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