社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

森博美「川島孝彦と中央統計庁構想」『統計法規と統計体系』法政大学出版局,1991年

2016-10-08 21:54:55 | 11.日本の統計・統計学
森博美「川島孝彦と中央統計庁構想」『統計法規と統計体系』法政大学出版局,1991年

戦前の「統計三法」は体系性がなく,統計調査の調整がきかず,重複調査が氾濫し,法律としての機能も実態も欠いた。この状況を打開すべく,内閣統計局長・川島孝彦は昭和17年中央統計庁の構想を提案した。この構想は,川島による昭和15年8月付の内閣総理大臣への上申書「統計事務刷新ニ関スル意見書」がもとにあった。本論文はこの「意見書」の内容,さらに制度改革提言としての中央統計庁構想の検討である。

「意見書」は統計の重要性,現状の問題点,改革の必要性について書かれた前文と統計機構の一元化,統計機関と企画機関との関係調整,集計・製表機構の整備といった統計事務刷新上の根本的事項,これら以外の整備改善事項,他省庁や地方を含めた統計機構案,行政と統計の関連を論じた部分,そして結語の8部構成であった。背景にあった時代認識は国家総力戦の時代,列強に拮抗する時代というものであり,要所に国家の総力を傾注すること,強力な防諜体制をしかねばならないというものであった。しかし,統計組織のおかれている状況は不十分で,混乱している,統計従事者に志気の低下がみられる。それが統計の質の低下の原因になっている。統計事務の刷新整備が喫緊との課題意識は,こうした時代認識,現状認識に由来するものであった。

 「意見書」は具体的課題として(1)統計機構の一元化,(2)統計機関と企画機関の関係調整,(3)集計製表の整備をあげ,それぞれの解決策を提言している。筆者はそのなかから次の論点をとりあげ,解説している。(1)[調査企画・予算]統計体系の観点にたつ統計行政の欠如。調査票,集計表での項目の不統一,調査時期の不統一。各省庁内部での調整の不充分性。(2)[実査]多数の重複調査の存在。(3)[集計]集計機械の奪い合い,収集した統計が未集計のまま放置。(4)[統計の発表,利用]統計発表の統制の必要性と促進策。(5)[制度]調査員問題,統計職員の訓練,統計機構と行政機構との関連強化。

 上記の課題は中央統計機関の権限強化がなければ抜本的に解決にされない。そう考えた川島は一元的統計制度の確立を強く提案する。それは具体的には,(1)統計調査の統制,(2)調査結果の監査,(3)各省庁の統計需要への対応,(4)統計職員の管理。一口に言えば,「『意見書』が提唱する一元的統計統制とは,各種の強力な統制権限を有する中央統計機関を中央に据え,統制による統計の一元化を目指す機構改革に他ならな」かった。(p.16)

 「意見書」に言う制度改革が最初に具体的改革構想として提示されたのは,昭和17年7月の内閣統計局文書「行政簡素化ニ関スル件」であった。そこには,国の統計事務の中央機関として中央統計庁(仮称)の設置がもとめられていた。それによると,中央統計庁の行政機関としての位置づけは,内閣総理大臣の下に置かれ,企画院と同列の行政組織とされた。中央統計庁の任務と権限は,「意見書」におけるそれと基本的に同じであった。その後,中央統計庁管制案(「行政簡素化ニ関スル件」をさらに具体化した「行政簡素化実施ニ関スル件」に盛り込まれた案)ならびに統計職員に関する勅令案が出され,「意見書」の改善案が制度規定として具体化されていった。その延長での要請の下で準備されたのが,昭和17年統計法案であった。この「17年法案は,統計調査の統制,調査結果の発表・利用に対する統制,さらには,政府による民間保有統計の提示命令権,と統計調査の企画から作成,利用の全般にわたる中央統計庁による一元的統制を条文化したものであり,中央統計庁の行政機関としての任務や国家行政組織上の位置づけを与える管制(統計職員に関する勅令はそれを人的側面から補強)とともに中央統計庁構想の法律的,制度的根拠をなすもの」であった(p.40),と筆者はまとめている。

 こうした川島の中央統計庁構想の特徴は,どこにあったのだろうか。筆者はこの川島案を,大正9年に統計調整機関として設置された中央統計委員会が内閣総理大臣原敬からの諮問「統計整理統一ニ関スル件」への「答申」の内容と対比して,前者の特徴を浮き彫りにしている。ひとことで言えば,川島の構想した中央統計庁は,調査機関であると同時に日本の統計行政全般にわたる中央機関であり,その統制権限が調査から作成,利用にいたる全過程におよぶ統計の全面統制に他ならなかった。そのモデルは,ソ連の統計制度(ゴスプランの外局に設置された中央国民経済計算局を頂点として,共和国,州の国民経済計算局,さらには区・市・地区国民経済観察官という位階的組織形態として編成される中央主権的統計制度)であった。

「意見書」はその後,どのように扱われたのだろうか。その経緯は,第三節「『意見書』と官庁事務の再編成」に詳しい。動きとしては,1917年の夏から秋にかけて,「意見書」に端を発した一元的統計制度の実現に向けてかなりの進展をみせた。しかし,この年の11月に内閣統計局が企画院統計局として改組された頃から雲行きが怪しくなり,翌年11月に企画院そのものが廃止され,改組されるにおよび,一元化構想は座礁した。統計局は内閣統計局として再出発することを余儀なくされ,構想は振り出しに戻ることとなった。川島に内心忸怩たるものがあったことは容易に推察できる。筆者も言う,「この時の川島の胸中には,遅々として進まぬ行政事務改革への焦燥と構想実現へのかすかな期待とが同居していたものと思われる。しかしこの期待も,その半年後には空しく潰え去ることになる」と(p.51)。
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