社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

吉田忠「シモン・フィセリングの統計学-19世紀中葉オランダでの大学派統計学の展開-」『統計学』(経済統計学会)第103号, 2012年9月

2016-10-17 15:25:22 | 4-2.統計学史(大陸派)
吉田忠「シモン・フィセリングの統計学-19世紀中葉オランダでの大学派統計学の展開-」『統計学』(経済統計学会)第103号, 2012年9月,(『オランダの確率論と統計学(第8章)』八朔社,2014年)

 筆者は本稿の目的をシモン・フィセリングの統計学をとおして,大学派統計学の展開過程とその要因を明らかにすることである。大学派統計学とは,19世紀半ばごろのオランダで講義された統計学を指し,その内容は国家,国土,国民,産業に関する事実説明で,その内容は18世紀前半にこの国に流入した国状学に似たものであった。以下,筆者の叙述にできるだけ忠実に,大学派統計学の流れとフィセリングによる統計学の展開を書き留める。
本稿は最初にオランダに国状学が入ってきた経緯を明らかにし,これを受けてフィセリングの統計学(前期,後期)を解説する構成をしている。

 まず,オランダへの国状学の導入過程である。オランダでの国状学は,実は17世紀頃から既に,幾つかの大学で講義されていた。直接の契機は,ユトレヒト大学で1720年から国状学を講義していたオットーが1726年に国状学のテキスト『学生のための諸国家知識の概論』を上梓してからであると,筆者は推測している。このテキストはユトレヒト大学で,オットーの後任だったウェセリングの講義で使われ,それを聴講したクルィトはライデン大学で初めて「統計学」という名称の国状学の講義を行った。このクルィトの講義をライデン大学で聴講したのがタイデマンである(タイデマンはゲッチンゲン大学のシュレイツァーによって書かれた『統計学の理論』を出版直後に蘭訳した)。クルィトはゲッチンゲン学派を継承し,統計学と経済学を同義のものとみていた。この点はライデン大学を拠点とした大学派統計学を担った人々に共通した特徴だった。そのクルィトは不慮の事故死をとげ(1807年),ライデン大学の統計学の講義はトリウスが,次いでタイデマンが1812年から48年までの長期にわたり受け継いだ。オランダの統計学は,この頃から新しい方向をとりはじめた。それはイギリスのペティ,グラント,ドイツのジュースミルヒ,オランダのストルイク,ケルセボーム,ロバトを含む政治算術派の方法論の吸収であった。

 フィセリング(1818-88)は1850年,ライデン大学法学部の統計学担当教授に就任した(財務大臣となった1879年まで)。筆者はフィセリングの統計学を解説するに先立ち,彼の教授就任講演「経済学の基本原理としての自由」を取り上げ,そこで利己心と隣人愛,科学と信仰という一般的には対立状態にあるものが両立的に受容され,オランダ的中庸論がフィセリングの思想としてあったことを確認している。

 フィセリングの統計学の内容は,1860年代半ばを境に前期と後期とに分かれる。筆者はそのことをフィセリングが発表した論文のなかに追跡している。すなわち前期の統計学観を,「オランダの統計学」(1849年),「我が国の統計」(1859/60年),幕府留学生の西周と津田真道に対しての講義録(1863/65年)で,後期のそれを「統計学研究の手引き」(1875年),「統計学の理論」(1877/78年),「大学における統計学」(1977年)で考察している。

 フィセリングの統計学の前期の特徴は,その内容が19世紀前半の大学派統計学と基本的に同じで(統計資料論),統計学に経済学(理論ではなく経済政策)の補助科学としての役割を与えられている。この特徴は60年代に入っても大きな変化はないが,部分的にオランダの政治算術の成果が組み込まれていることが確認できる。

後期になると,フィセリングの統計学は,その対象と方法に大きな変化があらわれている(その枠組みには大学派統計学の残滓がみられるが)。統計学の目的と領域を限定する定義が示され,「数字による表現が統計である」とする誤った見解に警告が与えられ,統計学の対象が非数量的領域を含む人間の社会生活と限定される。統計学研究では数量的方法に目が向けられている。平均の意義がとりあげられ,安定的現象と変動的現象の重要性が強調される。自らの統計学がゲッチンゲン学派,英国政治算術,オランダ政治算術の総合ととらえている。

 筆者は最後に次のように,フィセリングの統計学(後期)をまとめている。すなわち,彼の後期の統計学では,統計資料の加工・利用が目指す終点に,政治・経済に関わる社会問題だけでなく,人間の健康と疾病に関わる社会問題の科学即ち社会疫学が追加されている。また彼はゲッチンゲン学派を後退させた「新しい傾向」のなかでケトレーの役割を評価したが,人間の知的道徳的側面も自然法則的に捉える部分には賛成しなかった。この点には,フィセリングの自由意思の問題がかかわっている。その延長で,社会物理学の代わる社会倫理学が提起された。この社会倫理学は,その根源に自由意思をもつ人間が利己心を隣人愛で止揚したところに形成する社会の成立発展を因果法則的にとらえる学問である。フィセリングは,統計学の終着駅としてこの社会倫理学を構想した。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 吉田忠「19世紀オランダにお... | トップ | 松川七郎「序章 主題について... »

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む