社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

浦田昌計「ドイツ国状学と官庁統計」『経済学雑誌』(岡山大学)4巻2号, 1972年8月

2016-10-16 22:18:16 | 4-2.統計学史(大陸派)
浦田昌計「ドイツ国状学と官庁統計」『経済学雑誌』(岡山大学)4巻2号, 1972年8月,[「ドイツ国状学と政府統計-ゼッケンドルフを含めて-(第2章)『初期社会統計思想研究』御茶の水書房, 1987年)

統計学の起源の一つがドイツの国状学にあったことは, よく知られている。国状学は, その内容を見ると国家顕著事項の記述が主で, それも非数量的な記述であった。国状学は今日でいう統計学とはおよそかけ離れた代物であった。それにはいろいろな理由がある。社会経済現象を数量的に把握するという認識が未熟だっただけでなく, そのような習慣が社会に行き渡っていず, そのような資料自体がほとんど存在しなかった。社会経済現象を数量的に表記する客観的条件がなかったのである。

 しかし, そうは言っても官庁統計が皆無だったわけではない。ドイツの領邦国家は治世(徴税や徴兵)のために人口などの資料が必要であったろう。近代的な意味での統計も統計調査もなかったかもしれないが, 最低必要な数量的資料やそれを獲得するための手立てがなかったとするほうが不自然である。したがって, 問題はそういう官庁統計のようなものがどの程度, 存在したのか, 国状学を唱えた人々はそれらにどのような姿勢をとったのか, である。本稿で筆者は, この問題を考察している。

本稿の比較的前のほうで, 筆者はこの問題への結論を与えている。それによると, 筆者は「ドイツ国状学が, 当時の官庁統計と無縁の存在であったのではなくて, むしろ当時の『官庁統計』の存在形態に一定の対応関係をもち, それが学問的に意義づける性格をもっていたことを見落としてはならねいと考える」と述べている(p.23)。それは, 国状学の創始者といわれるコンリングも, 後継者であるアッヘンワルもそうであったが, シュレーツェルではことさら顕著であった。

 本稿の内容は, この結論を検証する展開をとっている。まず, コンリングの国状学がとりあげられている。その内容は国家としてみた社会の実質的な要素(人と物)だけでなく, 形式的な要素(国家の制度と行政)の状態を, 国家の福祉という観点から解明しようとしたもので, そこにもり込められたものは数量的なものではなかった。しかし, コンリングは, 数量的側面を無視していたわけではなく, 彼のいわゆる質料因の観察では, 一貫して質と量との二面から把握することが重視されていた。とくに, 国家の人間について, コンリングはその量的観察の意味を考えていた。また, 質料因の一つとしての財に関しても, その量(とくに財の種類別の量)の考察の必要性を認識していた。土地とその自然的属性, 家畜, 農作物, 林作物, 鉱物, 加工品が, それぞれ量, 質, そして政治的効用とともに考察されるべきとされているとのことである。コンリングは以上のように社会的な量的観察の意義と有用性を認めながらも, そのような観察が何によって可能なのか, そうした資料の獲得の仕方について何も語っていない。

 筆者は次にゼッケンドルフ(1626­92)をとりあげている。ゼッケンドルフはその著『ドイツ領邦国家論』には, 領邦全体の記述のための表式が掲げられている。領邦の総地誌のための表, 管区と領地の特殊表のモデルなどである。それらは各行政管区が備え, そして報告すべき表式であり, 目録表としての性格をもっていた。こうした目録のようなものが, 次第に統計表式化していった。この表式調査は, 「地方に対する検査の一環として, また地方機関からの行政報告の一環として, 地域の状況を示す目録表(古い意味の土地台帳から出たもの), あるいは行政記録の摘要が求められ, それが中央官庁で部分的に集計されることから出発している」(pp.29­30)。筆者は, この記述の延長で, 当時の統計調査としてどのようなものがあったかを例証している。領邦君主が自身の財政的, 軍事的目的のために必要とした基礎的資料, 教会記録にもとづく人口動態の資料などである。ゼッケンドルフがしたことは, このような萌芽的な官庁統計形式の統一化(そこで技術的な面で意図しているのは地方的諸記録の統一化と全国的な統括と集計)と国家の政治的行政的知識全体のなかでのその位置づけである(p.35)。

ドイツ国状学は, 官庁統計のこの歩みを十分に生かしきれなかった。コンリングしかり, アッヘンワルしかりである。他方, ジュースミルヒは, 彼自身が牧師であり, 官吏であったこともあって, 人口に関する部分である程度の数字資料の利用が可能だった。例外的に, シュレーツェル(1735­1809)は官庁資料の利用について問題提起し, 表式調査の形をとった統計調査過程に着目し, これを統計の真実性, 統計批判(専ら調査表式の技術的側面と下級官吏の無知, 怠慢に対して)の問題と結びつける方向を示唆した。
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