社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

内海庫一郎「経済指数の意味と算式」『エコノミスト』第35巻第22号,1957年6月

2016-10-16 11:50:05 | 9.物価指数論
内海庫一郎「経済指数の意味と算式」『エコノミスト』第35巻第22号,1957年6月

 この論文は理論講座「対決する二つの経済学」の20回目として,書かれたものである。「対決する二つの経済学」とは,いうまでもなく,近代経済学とマルクス経済学である。これら二つの経済学をベースにした物価指数論の内容の検討が,テーマである。

 最初にごく大雑把な両者の物価指数論の要点が示される。両者の物価指数論は,第一に算定目的・指数の意味・指数によって測ろうとする対象の性質が異なる。近代経済学のそれは,2つの時点で等しい満足を特定個人に与えるために必要な貨幣支出量の変化であり,マルクス経済学のそれは貨幣一単位に含まれる社会的労働量の変化である。第二に指数算式が異なる。近代経済学の算式はラスパイレス式とパーシェ式との交叉であり,マルクス経済学のそれは前月基準単純幾何平均である。

 以上の概略的な規定を与えた後,筆者は二つの経済学にもとづく物価指数論を要領よくまとめている。まず近代経済学をベースにした物価指数論では,フィッシャーの理想算式が問題とされる。フィッシャーは6種類の平均の型(算術平均,調和平均,幾何平均,中位数,並数,総和[?])と基準時点,比較時点の数量と金額との4種類の加重方法との組み合わせから可能なすべての指数算式の型を列挙し,それらを時点転逆テストと要素点逆テストにかけ,テストに合格した若干の算式から経験的に最も都合のよい算式として理想算式を決定した。フィッシャーのこの議論は,指数算式問題の最も形式主義的な方法として学説史上に残っている。

 G.ハーバラーは「テストは正しい算式の一義的な決定を許さない」として,フィッシャー流のこの方法を否定し,指数の意味から算式の誘導にとりかかった。指数によって測られるべきものは,特定個人の実質所得であり,その測定は難しいが大小の比較なら可能として同一の実質所得を購うために必要な貨幣所得(貨幣支出額)の変動の「真の値」が存在する一定の限界を確定しようとした。限界値論がこれである(ここでは,客観的な貨幣価値の概念は否定されている)。ハーバラーの指数論の根本思想は,その後,近代経済学の立場にたつ指数論者に受け継がれ,彼によって定められた狭い枠のなかで精緻化された(ボルトケヴィッチ=コニュースの条件など)。

 後にフリッシュは,ハーバラー以降の指数論(限界値論の精緻化)を関数論的指数論と,またそれ以前のフィッシャー,エッジワースなどのそれを原子論的指数論とに整理した。

 これに対してマルクス経済学の側からの物価指数論は,蜷川虎三のそれによって代表とされる。その理論の内容は,従来の指数論では指数算定目的である「物価水準」「貨幣価値」などの諸概念が曖昧であるとしたうえで,物価指数が測定する対象が単位貨幣に含まれる労働価値量であるとし,貨幣商品の価値変動を相対的価値形態におかれた諸商品の価格変動から導出するというものであった。その結果として推奨されたのが,前月基準幾何平均型の物価指数であった。蜷川はまた,固定ウェイトの総和式算式の型を重視した。蜷川のこの指数算式は当初それなりの影響力をもち,その影響下にあった人々は日銀物価指数を単純幾何平均に換算して利用したが,そのうち近経的指数論の隆盛とともに忘れ去られた。

 また,この物価指数論は理論的には,価値と価格との乖離という問題の解決に直面した。現実の資本主義の下では,諸商品の価格は価値ではなく生産価格であり,独占価格であるからである。価値と価格の乖離の分析が必要だったが,蜷川はこの問題を解決できなかった。筆者はこのことを指摘し,参考として旧ソ連での経験,理論に学ぶことが蜷川の貨幣価値の分析を基礎とした貨幣価値測定の議論を前進させるだろうと述べているが,示唆にとどまっている。

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