社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

内海庫一郎「ティントナーに関する一考察」『經濟論集』(関西大學經濟學會)第26巻第4・5合併号,1977年1月

2016-10-17 15:33:13 | 4-3.統計学史(英米派)
内海庫一郎「ティントナーに関する一考察」『經濟論集』(関西大學經濟學會)第26巻第4・5合併号(高木秀玄博士還暦記念特輯),1977年1月

 ティントナーは(Gerhard Tintner) [1907-83]は計量経済学者で,その主要な著作は『数理経済学と計量経済学の方法(Methodology of Mathematical Economics and Econometrics, Chicago, The University of Chicago Press,1968 )』である。

 本稿は「計量経済学におけるG.ティントナー」『統計学』(第31号,1976年)の補論であり,計量経済学者ゲルハルド・テイントナーの計量経済学史上の意義を問う研究の予備的考察である。構成は,ティントナーの経歴の概要,ティントナーの思想史的地位の解明,ティントナーのマルクス評価,批判の検討となっている。 

 筆者によるティントナーの経歴紹介にしたがって,この計量経済学者のプロフィールをみる。ティントナーは,1907年にドイツのニュルンベルクで生まれた。両親はオーストリア人。ウィーン大学で経済学,統計学,そして法律学を学び,博士号を取得した(1929)。その後,ロンドン·スクールで学び,さらにロックフェラー財団フェローシップの援助で(1934­36)ハーバード大学,コロンビア大学,カリフォルニア大学(バークレー校)シカゴ大学,スタンフォード大学に席をおいた。その後,フランスのポアンカレ研究所,イギリスのケンブリッジで経済学を学んだ。1930年代にはウィーンの産業循環研究所の研究員(1936),コールズ委員会では経済学と統計学の研究員であった(1936-7)。

 1937年から1939年にかけ,ティントナーはアイオワ州立大学(大学)のスタッフで,経済学や数学の助教授を務め,教授に昇格。1962年にアイオワ州立大学を退職。ペンシルバニア州のピッツバーグ大学へ赴任。 研究環境がよくなく,ほどなく南カリフォルニア大学で経済学と数学に関する特別教授としての地位を得た(1972年定年退職)。[以下は,本稿執筆時点以降の経歴。ウィーン大学計量経済学研究所の教授と所長(1973­78年)。1983年11月13日,オーストリアのウィーンで死去]。
ティントナーの研究の重点は,経済理論と統計,数学との関係の究明にあり,1930年から1960年の間,計量経済学の分野の第一線で仕事をした。1940年には計量経済学会,1947年には数理統計研究所,そして1951年にはアメリカ米国統計協会のフェローに選ばれた。また,多くの国々で,計量経済学の教育プログラムを支援し,驚くほど多数の書籍と出版物を執筆した。 ティントナーの履歴は,以上の要約では書き足りないほどで,計量経済学の開拓,研究,普及,教育に関する仕事ぶりは驚異的であった。

 筆者はティントナーの経歴をまとめ,「われわれは彼が例外的に多くの研究機関でポスト,ドクターの研究をつづけ,多面的な訓練を受けたことが,彼の気質と相まって,さまざまなアイデアを比較対照する能力をつけさせることとなった,・・・そのことは彼が思想的にみて特定の傾向を帯びていない,ということを意味するものではない」として,ティントナーの思想的地位の検証に入る。一言であらわすと,ティントナーのそれは,筆者によれば新実証主義のそれであった。筆者は,ティントナー記念論文集の序説的部分で,2人の編集者,K.フォックスとJ.K.セングプタのうち,前者が計量経済学革命論をトーマス・クーン『科学革命の構造』に依拠して展開していることを論拠に,いわゆる「パラダイム」論の検討に舵を切っている。

 筆者はここからクーンの「パラダイム」論に入りするが,それは科学史をパラダイムの交替である科学革命とそれにつづく科学者集団の通常科学の営みとしてとらえる理論である。(「パラダイム」というのはもともと文法学上の用語で,共通の語源または語幹から派生する全屈折系の集まりを指す語形変化系列ないしその系列の表で,一般的には模範,範例の意味であるという)。この考え方は,カルナップ,ポパーなどの「累積による発展観」へのアンチテーゼであり,「一般システム論」のベルタランフィ,「システム哲学への序説」のバックレイなどの賛同を得ていることが注目される。しかし,日本の唯物論者はこの理論には科学の発展の根拠となる客観的実在が欠落しているとして,否定的評価を与える。フォックスの解説には,論理的な明晰さがなく,一般的な概説があるだけで,みるべきものはないようである。

 最後に,ティントナーのマルクス観が述べられている。指摘されているのは,ティントナーが弁証法を「正・反・合」でとらえていたということだけである。その指摘を切掛けに,そうした理解はティントナーだけでなく,ポパー,トーピッチュも同じであった。弁証法を「対立物の闘争」という観点から解釈するものは,これらの人々には全くなかった。この点に関して,ティントナーにマルクス観をもとめることが,そもそも無理なようである。 
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