社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

山口秋義「『計画経済』と統計報告制度(1928-1930年)」『ロシア国家統計制度の成立』梓出版社,2003年

2016-10-17 21:53:51 | 5.ロシアと旧ソ連の統計
山口秋義「『計画経済』と統計報告制度(1928-1930年)」『ロシア国家統計制度の成立』梓出版社,2003年

 旧ソ連の国家統計制度の特徴は,集中型統計組織と統計報告制度であった。本稿はこの特徴が固まった時期のこの国の統計制度の変遷を,計画経済という契機を考慮に入れて考察した論文である。

 ソ連の計画経済は1920年のゴエルロによる全国電化計画に遡ることができるが,全国的で統一的な経済計画としては1925年の統制数字が最初である。この単年度ごとの統制数字を経て,1928年から第一次五カ年計画が始まる。本論文が対象とする時期は,この五カ年計画がスタートしてから2年後の30年までである。

 計画経済の遂行には,統計は不可欠である。しかし,五カ年計画スタートの頃,中央統計局は計画遂行の主体であるゴスプランに満足のいく統計を提供できなかった。ゴスプランは計画作成にあたって,各官庁から統計方法論が異なる不完全な統計を寄せ集めにたよらざるをえないという状況であった。

 この事態を克服する方策として,1930年1月,ゴスプランに中央統計局を吸収する組織化改革がなされ,ゴスプランの中に経済統計課が設置され,中央統計局の地方組織はゴスプランの地方組織である地方計画委員会の部内組織として位置づけられた。しかし,この措置は統計組織の独立性を著しく阻害し,中央と地方との情報経路が弱体化した。このため,翌年,組織の再編が行われた。ゴスプラン内部の経済統計課が国民経済計算課と名称を変更し,ゴスプランの地方組織であった地方統計組織が再度,この国民経済計算課の直轄組織として位置づけられ地方経済計算局となった。(その後,ゴスプラン国民経済計算課は1941年にゴスプラン中央統計局と改称し,1948年にゴスプランから独立した統計組織となる。)

 この論文のユニークな点は,上記の統計組織の変更にともなう統計調査の諸段階での調査票設計に示された指標の構造を分析していることである。1926年から30年までの期間に,中央統計局による工業統計の作成方法が大きく変更された。それ以前には,工業統計の作成は事業所からの定期的統計報告にもとづいた速報統計である工業現況統計と,センサスをはじめとした統計調査が併存していた。1926年実施の中央統計の組織再編(中央統計局の内部に一部局として統計計画委員会[スタートプラン]設置)以降,工業統計の主たる作成方法は,この時点で新たに導入されたБ票にもとづく統計報告制度に移行した(Б票)。このБ票は計画経済の開始にともない,いくつかの調査項目に関する計画遂行状況の把握を意図したものであったが(工場の名称などの一般情報[26項目],電力収支[27項目],動力装置[16項目],従業員[15項目],原材料と完成品の収支,燃料,固定資本と建設,生産費用),対象項目が限られ計画遂行状況の把握には限界があった。

 1930年代に入るとこの限界を克服するため,従前の統計報告制度は改善され,年次報告制度へと移行していく。年次報告制度では,当初,生産費用,労働諸指標,電力収支,固定フォンドなどの指標を得るための安定した調査票の作成が目的とされた(調査票の名称と内容の推移を示した一覧表が掲載されている[pp.147-8])。実際には1933年までの期間,工業企業の年次報告調査票の構成は不安定で,毎年のように大きな変更がなされ,細分化の傾向が続いた。

 年次報告制度のもとでの調査票とБ票との大きな違いは,前者では遂行実績が年次計画と対応して記入されたこと,当該年と前年との遂行実績の比較があること,第一次五か年計画の遂行に関わる幾つかの項目の追加がなされていること,などである。

 最後に筆者の問題意識は,「移行期」にある現在のロシアの統計制度がネップ期から第一次五ケ年計画への転換期に定着した集中型統計組織と統計報告制度を特徴として引き継いでいるが,集中型統計組織の面は今後とも継続していくものと予想され,統計報告制度の面には大きな変更を迫られているということにある。
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