社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

光藤昇「『経済福祉』指標の理論的背景とその問題点」『統計学』第32号,1977年3月

2016-10-09 11:17:39 | 6.社会経済統計の対象・方法・課題
光藤昇「『経済福祉』指標の理論的背景とその問題点」『統計学』(経済統計研究会)第32号,1977年3月

 1960年代から70年代初めにかけ,GNPが「経済福祉」の尺度として不適切であるとの批判が澎湃としておこり,代わってNNWが注目を集めた。NNWはトービン,ノードハウスによるMEWの枠組みを踏襲しているが,後者を基礎づけている理論的現実的背景に関してはあまり知られていない。筆者が本稿で課題としているのは,NBERの副所長トーマス・ジャスターの新しい勘定体系提案の検討をとおして,MEWの理論的現実的背景を明らかにし,その問題点を浮き彫りにすることである。

 そのトーマス・ジャスターの新しい勘定体系の提案は,主なものを列挙すると次のとおりである。(この提案は,プリンストン大学での「経済的社会的行為測定に関する討論会[1971年11月4-5日]報告による)。

(1)家計と政府を生産単位とし,それを含む部門分類。
(2)有形消費者資本(耐久消費財),有形政府資本,無形企業資本(研究開発の成果などのストック),そして人間資本(教育の成果のストック)のいくつかの分野を含むような資本勘定の作成。
(3)企業によって提供された直接的消費便益(1.快適な労働条件[娯楽施設,医療相談所,助成された食事施設,諸手当,2.テレビ視聴者への情報・娯楽所得])の計上。
(4)費用が簡単に測定できるか,またはいま測定されている物的環境資産(きれいな水,空気,温暖な気候)・社会政治的環境資産(自由・公正,安全など)維持費の計上。
(5)家計により非市場活動に配分された時間の主要な諸概念の導入。
(6)投入費用を産出尺度に変えること(教育,保健,治安,消防,裁判所における司法,防衛産業,多くの建設物において産出の尺度として投入の費用を用いることを改めること)。
(7)明確な費用の差異としてあらわれない質の変化測定のための現行産出尺度の改良(快楽価格指数など)。
(8)学校教育費のみならず放棄所得,家庭での学習・訓練,労働市場における学習・訓練を含むようにした完全な人的資本勘定の計上(教育における放棄所得)。
(9)消費者に対する直接的環境便益の測定。

 ジャスター自身は上記の提案が次のような理論的系譜,背景を踏まえていると述べている。すなわち,アービング・フィッシャーの経済理論の枠組みを踏襲していること,人間資本分析,G.S.ベッカーなどによる家庭の経済分析,PPBS,快楽価格指数などサービスの産出計測手法に依拠していることである。

 筆者は,ジャスター提案がアービング・フィッシャー理論によっているので,その主著The Nature of Capital and Income に基づいて,その理論的枠組みを紹介している。フィッシャー理論は,「所得はすべて富から生じる」という命題から出発する。「富」のストックは「資本」である。「資本」はさまざまな「利子所得」を生み出す。この「利子所得」は貨幣形態以外の便益フローの形をとる。ここでは「労働者に対する関係としての資本,ならびに価値としての資本」が捨象されている。人間・土地も資本とすることで,労賃と地代の差異も不問に付され,また生産と消費との混同がみられる。

 また貨幣所得以外のサービスが主要な「所得」とされている。生産・分配・消費の経済循環の局面は便益フローの貨幣評価にとって問題とされるだけであり,生産過程と消費課程の区別がないサービスの経済学と規定できる。

 これらのサービスは機会費用を用いて数量化されている。何を機会費用とみなすかについては多様な可能性がもとめられ,それゆえ恣意的な推計に陥りやすい。

 ジャスター提案はこうしたフィッシャー理論を継承しつつ,いくつかの新しい契機を組み込んでいる。それらは「富」=「資本」のなかに無形なもの,知的サービスのストックと物理的環境資本ストックを付け加えたこと,時間資源からサービスの概念を解釈したことである。これら以外は,基本的にフィッシャー理論である。

 筆者は最後にジャスター提案に批判的コメントを与えている。ジャスター提案は,戦後の経済過程の変化を念頭に入れ,国民勘定体系をということになっている経済成長分析(経済福祉と呼ばれるサービス,すなわち便益フローの集計量によって測られる成長の分析)に役立つように改善することを意図したものである。この点を確認したうえで,筆者は,ジャスター提案に対し3つの観点から,すなわち(a)サービスの質的変化を貨幣評価しようとする試みのもつ問題点,(b)時間の貨幣評価の問題点,(c)環境資産からの便益フローのもつ問題点を指摘している。

 (a)サービスの質的変化を貨幣評価しようとする試みのもつ問題点に関して,教育などのサービスが従来,投入面から測定されているのはサービス価格がもつ高度に発達した社会的分業関係の反映とみるべきで,貨幣評価がその側面から切り離され,サービスの質と量のみで決定されるかのように考えることは正しくない,としている。

 (b)時間の貨幣評価の問題点に関して,価格は社会的分業内の相互の関係によって規定されるので,通常,社会的分業の圏外の労働によってもたらされた財貨・サービスは価格をもちえない。しかし,社会的分業の圏内に同種の労働が存在する場合,擬制的に貨幣評価することはありうるが,ジャスターにあっては非市場活動の擬制的評価ではなく,非市場活動に配分された時間がもたらす便益フローが考えられている(ベッカー理論の適用)。しかし,筆者は社会的分業の圏外にある労働の成果とはいえない余暇時間にも貨幣評価を与えていることについては疑問であるとしている。

 (c)環境資産からの便益フローのもつ問題点に関して,ジャスターによる環境破壊防止支出を環境維持費として国民総支出から控除して「経済福祉」の枠組みをつくるべきとする提案は環境維持費の支出によって環境が一定に保たれるという仮定にもとづいているが,この仮定自体は現実に存在する環境破壊による社会的損失を無視したものである。また,環境維持費を「経済福祉」を無関係とすることが社会的分業内に位置づけられるうる環境破壊防止のための労働の意義を他の諸労働よりも低いものとみなすことになり,環境破壊防止活動促進の障害になる危険性がある。筆者はむしろそのような労働も含めて環境破壊防止のための労働を社会的分業のなかに確固として位置づけることのほうが先決と考えている。

 筆者自身による本稿の要約は,以下のとおりである。
(1)ジャスターの提案のなかで,「経済福祉」として描いているものは,フィッシャーの客観的最終サービス(便益フロー)である。
(2)その便益フローは資本ストックから流出するが,後者には労働一般に対立する労働諸条件の自然的形態」としての資本の他,土地,人間,消費手段の自然的形態,さらには教育資本ストックなどの「無形資本」,物理的環境資本ストック,社会的政治的環境資本ストックが含まれるが,「労働者に対する関係としての資本ならびに価値としての資本」の側面が捨象されている。
 (3)便益フローが測定される局面は,従来の国民勘定で表現されてきた局面とは別の,客観的最終サービスの局面とみなしうる。それは恣意的な機会費用による貨幣評価を使用することで数量化される点で問題がある。
 (4)社会的分業の相互の関係,あるいは階級関係により価格が規定される側面を無視し,生産力の発展によってもたらされる財貨・サービスの質の向上,あるいは余暇時間を貨幣評価することが許されるかどうかについては疑問である。
 (5)貨幣評価が「経済福祉」を表示するために可能であるとしても,それが労働者階級,自営業者層の生活実態を表現することは予期できない。
(6)ジャスターは,環境問題を取り扱いながら,環境破壊による社会的損失を無視している。

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