社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

佐藤博「ケトレーにおける『統計学』と『社会物理学』の構想」『統計と統計理論の社会的形成』北海道大学図書刊行会, 1999年

2016-10-17 15:14:09 | 4-2.統計学史(大陸派)
佐藤博「ケトレーにおける『統計学』と『社会物理学』の構想」『統計と統計理論の社会的形成』北海道大学図書刊行会, 1999年

 本論文では, ケトレーが統計, 統計学をどのようなものとして構想していたかを, ケトレーの著作, 書簡にくわえ海外の研究成果(G.クナップ, V.ヨーン, J.ロタン, P.F.ラザルスフェルド, M.ヴェーメなど)を利用しながら, 解明したものである。関連して, ケトレーの社会物理学がいつ頃成立したのか, その内容はどのようなものだったのか, ケトレーと同時代の人々, ラプラス(天体力学), コント(社会学), コンドルセ(社会数学)との異同はどこにあったのかを, 3つの節(Ⅰ「ケトレーの「統計学の定義」」, Ⅱ「ケトレーにおける「社会物理学」の構想」, Ⅲ「ケトレーの「統計学の定義」と「社会物理学」との関係」にわけて, 論じている。

 ケトレーの著作としては, 『人間に就いて』(1835年), その第二版である『社会物理学』(1869年), 『社会体系論』(1848年)が有名である。他に『確率に関する書簡』(1846年)がある。

 J.ロタンの研究によれば, ケトレーは当初(1828-69年), 統計学をアッヘンヴァル流の定義, すなわち国状学としてのそれで考えていたようである。ケトレーの統計学の定義はモーネによる定義, すなわち一国の状態を知るには政治史と統計学と政治学からなる知識が必要であり, 統計学は現在のそれを扱うので(政治史は過去, 政治学は未来), 政治史と政治学の中間に位置するのが統計学であるとする定義に依拠していた。ケトレーのこの認識は, 彼がオランダ統計局のブラバント州の通信員となって以降, オランダのセンサス, ブリュッセルのセンサスに参加し, 官庁統計に関心をもつようになったことと関係がある。それでは, ケトレーのこの国状学的な統計学解釈と後年の社会物理学の構想とは, どのような関係にあるのだろうか。

 ケトレーの社会物理学は, ベルギーの独立革命の直後, 1831年に社会力学として成立した。社会物理学という用語が登場するのは, ロタンによると, 1834年に『人間に就いて』の出版を予告する文書の中であるという。人類に関する法則を研究する社会物理学では, 社会の重心としての平均人をとりあげなければならない, とケトレーは言う。そのためには大量観察を試み, 現象のなかから偶然的原因を除去し, 恒常的原因のみをとりだし, 「仮想的存在」としての平均人を想定しなければならない。観察の科学がここでは重要になる。ケトレーによれば, 観察の科学は(1)事実の収集, (2)事実の分類と評価, (3)原因の究明と未来の予測の三段階からなる。そして, そこでは確率論が使われなければならない。この構想は, ケトレーはラプラスの『世界体系の解明』(1796年)を知ってからのことである。社会力学のアイデアは,ラプラスの天体力学からの類推で生まれた。その内容はラプラスの宇宙体系からの類推で, 個人としての人間→社会→人類という社会体系の発展の法則を, 確率論を基礎に展開したものであった。

 次に筆者は, ケトレーの社会物理学の概念とコントのそれとの関係を分析している。社会物理学という用語を初めて使ったのはコントであるが, ケトレーのそれとは何らかの関係があるのだろうか。結論的に言えば, ケトレーは, コントが1822年に造りだした社会物理学という用語を使ったが, 中身はまるで異なるものだった(また, ケトレーがコントの著作を知っていたかは現在のところ, 文書では確認できないという[J.フロインドの指摘])。筆者はここでもロタンの研究成果に依拠して, 統計学の役割の評価, 方法, 目標, 対象の面でケトレーとコントとでは見解を異にしていたことを明らかにしている。さらに, コントはケトレーがその用語をまったく別の意味で利用したのを知って, 社会学という別の名称を考え出し, それを使うようになったという事実関係に言及している。

 筆者は最後に, ケトレーと社会数学を提唱したコンドルセとの関係に触れている。人間, 物, 人間と物という対象のうち, 人間を対象とするコンドルセの社会数学は, ケトレーの社会物理学との親近性があったようである。このあたりの, 筆者による, コンドルセの社会数学の内容の検討はかなり詳しい。

 ケトレーの統計, 統計学に対する考え方を以上のように仔細に検討したあとで, 筆者はケトレーの統計学の定義の二元性, すなわちその国状学的解釈と確率論を基礎におく社会物理学の構想との間に矛盾がなかったのかという問題をたてている。この点に関して筆者の整理では, ケトレーは統計学が最初は「方法」から出発し, 次第に観察の科学, 社会物理学のような統計学になっていくと理解したのではないか, という結論を与え, 稿を閉じている。
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