社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

蜷川虎三「物価指数の意味」『経済論叢』第42巻第2号,1927年2月

2016-10-16 11:42:05 | 9.物価指数論
蜷川虎三「物価指数の意味」『経済論叢』第42巻第2号,1927年2月

 今から90年ほど前の論稿である。この論稿は「物価指数は何を測り,何を示すものであるか」という問いで始まっている。この問いが論稿の大きな課題であるが,課題にこたえる視角を定めるところに問題を限定している。

 全体の構成は,物価指数の通説的理解における曖昧さを指摘し,次にこの指数に対して根本的に理解しなければならないことを筆者の自説として示すという形式をとっている。
物価指数あるいは物価平準に関して,通説ではそれが貨幣の価値(貨幣の交換価値すなわち商品または勤労に対する貨幣の購買力)の変動を測り,これを示すもの,あるいはまたそれは一般物価を測るものとして受け取られる。この延長線上で,物価平準,一般物価と貨幣価値とは逆数的関係にあるものと理解されている。

 筆者はこれでは説明にならない,物価指数の本質が何であるかを理解することができない,という。なぜなら,貨幣価値,一般物価,物価平準といった概念が全く不明確であるからである。筆者はこれらの諸概念を正確に規定することが先決だという。こうした問題意識で考えると,ドイツでのチチェクなどの学者の立場には疑問がある。物価指数の研究はまず曖昧な観念を排除し,それを克服することによってのみ可能となる。

 一般に指数とは,統計上,統計的集団すなわち実数の総和における,時間的または場所的な相対的変化を測った数値の系列であると理解されている。物価指数の場合には,この集団が諸種の価格からなる。指数に関するこの説明をうけ,物価指数は多数の商品の,異なる二時期における価格の比率の平均値をその項とする時間的系列である。ただし,以上は形式的規定である。物価指数の問題に関して,平均の概念にしても,価格変動の原因にしても,もしそこにその現実的内容を究明する方途がなければ,種々の計算式に関わる議論は形式的水掛け論に終わる。従来の物価指数の研究は技術的,形式的な議論にとらわれることが多く,その指数の経済的意味を理解し研究する傾向が弱かった。重要なのは,その実質的規定である。

 以上のように物価指数論の当時の現状を読み解いて筆者は,より具体的に,フィッシャーの見解の点検に入る。とりあげられているフィッシャーによるテキストは,Making of Index Number,1923 である。

 フィッシャーは,貨幣数量説によって物価指数を考える。あるいは,彼の物価指数は貨幣数量説に基づく交換式(一定の時における貨幣数量は,商品の価格とその数量の積の総和すなわち価額の総和[=取引額]である)に立脚して作成される。ここで重要なのは,取引額(T)をどのように定めるかである。結論から言うと,ここで言う取引額は,基準時の価格において,比較されるべき時の取引数量を取引する場合の総取引額のことである。取引額(T)をこのように理解すると,物価指数(P)は同一数量(比較されるべき時の数量)を取引するのに要する2つの時点における貨幣量の比率である。フィッシャーにあっては,物価指数(P)は取引額(T)の経済上の意味に依存し,P1/p0の形式に条件づけられて初めて,その意味をもつ。フィッシャーの物価指数はこのように決まり,さらに指数構成の内容である商品の種類およびその価格の性質により限定される。この範囲で,物価指数の個別的意味,その実用の方途は異なる。筆者はしかし,フィッシャーの所謂,理想算式はそれなりの個別的意味をもつが,彼自身が物価指数に与えた普遍的意味を持つかは疑問である,としている。本当にそのような普遍的指数は存在するのであろうか。指数にそのような意味をもたせるには,その実態を究明しなければならない。価格の分析が必要となる所以である。

 筆者はここから,物価指数論を語る以上,回避できない問題として価格分析に入る。結論的には,市場での商品Aのx量と貨幣z量の交換の背後にある「何等かの共通量V」の意味である。物価指数はその形式的定義では価格の比率の平均であるが,価格の比率は個別原因の作用を除去し,一般原因による結果を明らかにすることに他ならない。通常はその一般的原因が貨幣側に存在するということになっているが,重要なのはその本質が価格分析の結果としての数量Vの存在の認識である。経済学で言う価値とは,このVに与えた名称である。物価指数が貨幣価値の変動を測定するということは,まさにこの意味においてである。

 「經濟理論はこのVの本質の理解を目的とする。Vは一の量である。この量の本質は,この量が如何にして測らるるかに依り,明らかにせられる。而して,その測定の方法は,全く,社會に依て規定される。即ち,それによらねばならぬ方法を社會が与える。・・・ここでは,明らかにVなる量の存在を認めて,物價指数を求めるための平均の従うべき意味を與へると共に,従来の經濟學の理論に於て,又物價指数の研究に於て,価價なる言葉に囚はれて,事實そのものが非常に歪められて意識され,宙に浮べる観念たるが如き観を呈してをったことを注意して置きたいと思ふ」。(pp.113-14)

 筆者の問題意識はあくまでも物価指数に,制限的個別的でない,より一般的な性質を与えることである。商品の価格分析を試み,数量Vの存在を確認したのは,そのためである。価格の比率の平均をもとめることは(Vm/V’m・V’1/V1)という価格比率の構成から(Vm/V’m)という値を抽出することにあることを明らかにし,誤差理論の援用はそのために必要であったという。
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