社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

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桜田忠衛「小島勝治の統計論」『統計学』第32号,1973年3月

2016-10-08 21:33:58 | 11.日本の統計・統計学
桜田忠衛「小島勝治の統計論」『統計学』(経済統計研究会)第32号,1973年3月

小島勝治(1914-1944)は,「幻の統計学者小島勝治」というタイトルで,NHK教育テレビで放映されたことがある(1973年1月26日)。本稿はその小島勝治の統計研究と統計活動に言及したもの。

小島は大正3年(1914年)10月19日に大阪で宮大工の子として生まれ,昭和19年(1944年)7月28日,出征先の中国で病死した。享年29。22歳で大阪布施市(現在の東大阪市)の統計課の職員として,その後,大阪市の財団法人弘済会(社会事業団体)の調査係の一職員として実務に携わることになる。その傍ら,民俗学,統計学,社会事業論の3つの分野での研究にたずさわった。困難な社会情勢のなかでの活動であった。活動の源には,社会の底辺で生きる人々に対する関心と共感があった。

 小島勝治研究は,筆者の区分では,2期にまたがる。最初の時期は1960年代で,丸山博の研究が代表的である。丸山は経済統計研究会,日本統計学会で小島の統計学を紹介し,彼の日本統計学史上での位置づけを明確にした。第二期は昭和47年(1972年)の小島の遺稿『日本統計文化史序説』(未来社)刊行以降である。遺稿がこの著作の形にまとめられたことの意義は大きい。

本稿は3つの節から成る。「Ⅰ.小島勝治の統計学研究-研究環境との関連において」「Ⅱ.小島の統計理論」「Ⅲ.小島勝治研究の現代的意義」。小島は最初,民俗学,とくに都市の民俗,職人の民俗に深い関心があった。目指したのは職人研究,都市民俗学研究であった。昭和11年[1936年]9月に日本民族学講習会で「職人習俗の採集について」と題して講演を行ったおりに,伊藤櫟堂と衝突し,これを契機に民族学会を退会するが,この分野での研究は,その後も続いた。(衝突の内容は,書かれていない。)

 小島は昭和10年(1935年)4月に布施町役場に就職した。彼の統計学研究の切掛けは,役場の統計課に落ち着いてからである。配属されて3か月後に『浪華の鏡』に「統計と世相の学」とい論文を連載した(3カ月間)。『浪華の鏡』は,大阪府統計協会の機関誌である(創刊が昭和11年[1936年]1月,廃刊は昭和18年[1933年]12月)。小島と『浪華の鏡』との付き合いは,以後,継続した。

 小島の統計学研究の過程を理解するには,この他,「大阪統計談話会」(昭和13年[1938年]6月設立),「統計研究会」などの自主的研究会組織の存在を無視できない。前者の組織は小島と松野竹雄が担い,大阪府下の市町村役場の統計課に属する実務家をメンバーとした。「『統計及び統計学』の意義を中心として」「大量の問題を中心として」「大量観察及び大量観察法に就いて」「単位について」「大量観察代用法に就いて」などのテーマを設定して,本格的研究に取り組んだ形跡がある。後者の「統計研究会」はこの「大阪統計談話会」を前身とし(昭和14年[1939年]12月設立,翌年4月「社会統計学会」と改称),大学の研究者との共同研究会であった。

小島の統計理論は統計が経済体制やイデオロギーに規定され,階級性をもつという認識から出発する。その理論は蜷川統計学を批判的に検討した杉栄の理論を基礎とした。小島は存在としての社会集団から大量現象を規定する過程での科学的理論の恣意性,すなわち経済体制,イデオロギーへの規定性,そして大量現象から統計的総体を規定する過程での統計調査方法の技術的方法での歪曲に統計の不確実性,階級性の根拠をもとめた。

 小島の業績にはこの他にも政府統計批判がある。それは政府統計の下請け機関の地位におかれていた市町村の統計課で仕事をしていた実務経験によるものであり,統計に少しでも真実を語らしめたいとの思いによるものである。筆者はその証として,小島による「国勢調査」「農家調査」に対する批判の実例をあげている。小島は当時の日本の重要課題であった貧乏問題の解決のための資料提供が必要であるはずであるのに,「国勢調査」から知り得るものは「救護人口」のみで,「要救護人口」の総数が知り得ないこと,「農家調査」では,農民の生活の実態を把握できるものになっていないことを具体的に指摘した。

また調査の実際で生じる様々な問題について指摘した。すなわち,「農家調査」の実査の時期や調査票の記入法の問題点について現実的な批判を行っている。すなわち,この調査は9月1日実施であったが,この時期は農繁期で適当でないこと,調査票に関して,農林省が推奨した連記式記入法を否定し,布施町の統計課で実施していた耕地カードの利点を提案した。

 小島はさらに市町村の統計業務が機関委任事務になっていることの問題点を指摘するとともに,市町村独自の調査のあり方についても言及し,その改革の方向を提起した。これらの問題点の指摘はいまでもそのまま通用するもので,その先見の明には驚かされる。

 筆者は最後に経済統計研究会会員であった丸山博の見解(自治体の統計活動と統計学者の研究によるその支援),野澤正徳の見解(統計学=社会科学方法論説に反省をくわえ,その視点から統計利用論をおし進めた統計指標の作成,統計体系の科学的再編)に触れ,統計実務担当者と研究者との協力関係の維持が重要であることの再確認を行っている。それはまさに小島が目指した統計学研究と実務労働の統一の精神に他ならなかった。
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