社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

吉田忠「ドイツ社会統計学と歴史学派-機械的唯物論の克服-(第5章)」『統計学-思想史的接近による序説-』同文館, 1974年

2016-10-17 11:23:22 | 4-2.統計学史(大陸派)
吉田忠「ドイツ社会統計学と歴史学派-機械的唯物論の克服-(第5章)」『統計学-思想史的接近による序説-』同文館, 1974年

 ドイツ社会統計学の成立, 発展, 解体を扱った論稿は, 足利末男, 有田正三, 長屋政勝の優れた業績があるが, 本稿もその一つに数えられる。しかし, 前者の研究成果と後者のそれとでは, 若干, 論じ方のニュアンスが異なる。その違いはおそらく, 後者が納められている著作の全体の狙いでもある思想史的接近という点にあるのではなかろうか。

 章の構成は, 次のようである。「第一節:ゲッチンゲン派(大学派)統計学の成立と『統計学論争』」「第二節:ドイツ・ケトレー派統計学意思自由論争」「第三節:歴史学派と統計学」「第四節:ドイツ社会統計学(実質社会科学論としての確立)」「第五節:ドイツ社会統計学の解体(社会科学方法論としての再編)」。

以下, 筆者の叙述にしたがった内容の概説である。まず, 国状学との関係で, アッヘンワルがとりあげられている。アッヘンワルは, 1748年, ゲッチンゲン大学に招聘された。翌年, 『ヨーロッパ諸国国家学綱要』を著し, これが国状学の範となった。ゲッチンゲン大学はこの時期以降, 学問のメッカとなった。19世紀の半ばまで統計学の分野で支配的だったコンリング=アッヘンワル流の統計学は, 一般にゲッチンゲン派として知られる。アッヘンワルの統計学は, 個々の国家における国家基本制度(個々の国家に現存する国家の安寧福祉に顕著に左右する国家顕著事項の総体)を記述する学問とされる。シュレーツァーは, ゲッチンゲン大学でのアッヘンワルの後継者である。

 ドイツではその後, アッヘンワル流のゲッチンゲン派統計学の隆盛がしばらくつづいたが18世紀末に及んで, 表派統計学が台頭してくる。表派統計学はデンマークの歴史学者アンケルセン, ドイツの地理学者ビュッシングが代表的存在である。この統計学の特徴は, アッヘンワル流の国別記述に代わる各国の事項別比較で, 精神的事項に対する物質的事項の重視, ペティ以降俗流化されて大陸に広がった政治算術の受容であった。ゲッチンゲン派統計学の内部にこの表派統計学への転向者(リューダ)がでるなど混乱した状況が出現した。両者の間にあったのは精神的要因を重視する非数量的国別記述と物質的要因中心の数量的比較との方法論的対立であった。学説の系譜という面から整理すると, それは筆者が言うように国状学と政治算術の対立という構図におきかえられる(p.156)。

対立はクニースの登場によって終止符が打たれた。背景には, ケトレー統計学の影響があった。クニースは『独立の学問としての統計学』(1850年)で, 本来の統計学の名称を, コンリング=アッヘンワルのそれからとりあげ, 政治算術=ケトレー派に与えられなければならないと, 断定した(ドイツ・ケトレー派[その代表者としては, ワグナー, エンゲルが知られる]の公認)。注意すべきは, クニースは国状学を葬り去ろうとしたのではなく, 統計学をそれとは別箇の存在としただけである。筆者は, この点を確認している(p.158)。
ケトレーの社会物理学は, ドイツでは上記のクニース, そして歴史学派の代表格であるワグナー, エンゲルによって導入, 普及された。ワグナーの統計学を特徴づけるものは, 機械論的世界観, 決定論的因果観, そして統計的方法の重視とその適用結果としての統計的規則性の法則観である。また, 彼らは統計学の本質を, 組織的大量観察によって偶然的事例を消去する一種の帰納的方法を用いて人間行動を規定する法則の把握, と考えていた。その規則性は, 自然科学や社会科学の法則と本質的に出現するものとして同一視された。筆者によればワグナーのこうした見解はほとんどケトレーの引き写しで, 意思の自由の否定が, 後の意思自由論争に受け継がれることになった, と書いている。

意思自由論争(ケトレー的な機械論世界観に対するクナップ, シュモラー, リューメリンらの人間意志の自由を擁護する立場からの批判)は学説史的に総括するならば, ケトレー的な機械的唯物論のドイツ的克服と捉えられる。ここで「ドイツ的克服」いう留保がついているのは, 批判の基盤がドイツ観念論哲学の人間観や歴史学派の社会観に求められたために, 精神的倫理的要因が強調され, ケトレーに備わっていた唯物論としての意義まで否定したことによる。いずれにしてもケトレー的な機械論世界観とのかかわりで意思自由論争が筆者によって取り上げられた理由は, この過程で社会法則と自然法則との区別が明確化され, 統計的方法の適用が自然と社会とでは異なると認識され, その結果, 統計学の対象である社会の認識について従前のケトレー的な原子論的なそれが否定され, 有機体的統一性をもった社会集団としての把握に意義が認められ, 統計学のその後の発展につながる契機がそこに認められたからである。

筆者は次にドイツ社会統計学の発展にとって, 歴史学派が果たした役割の大きさを強調している。歴史学派は, リストを先駆者として, ロッシャー, クニース, ヒルデブラントらによって形成された。歴史学派はしばしば古典派経済学との対置で評価される。すなわち, 後者は神の「見えざる手」による自由競争を展望し, 国家の役割を「夜警国家」として位置づけたのに対し, 前者は国家の役割を積極的にとらえる目的論的な国家有機体説の立場にたった。この延長で, 歴史学派はさらに, 国を単位とする国民経済の進むべき道がそれぞれの国の個性にしたがって切り開かれるべきだとし, それも各国の歴史をふりかえって帰納的にとらえるべきであると考えた。その歴史学派の科学方法論は, 自由意志にもとづく人間行為の介入する分野を自然から区別し, 換言すれば対象規定において社会と自然とを峻別し, 「歴史的地理的に制約された現実から有機体としての国家や国民経済の構成を帰納的に把握すること」であった(p.171)。こうした方法論を基礎とする限り, 歴史学派が統計学(国状学的なそれ)に関心を寄せるのは当然である。ケトレー的な統計学(社会物理学)はここでは否定され, 清算されている。筆者は歴史学派の理論と方法を要約したのちに, 次のように述べて実質社会科学論としてのドイツ社会統計学の登場を予告している, 「・・・最後に意思自由論争の結果出てきたものが, 人間的なものはすべて自由意思に媒介されて個性的な存在であり,したがってそれの合法則的把握よりも個性的記述がより重要である, というものだとすれば, 歴史学派の方法とドイツの伝統的な統計学の方法とは共通性をもつことになる。この方法的共通性の上にたって, 改めて実質社会科学論として形成されたのが, ドイツ社会統計学である」と(p.173)。

ここまでは, ドイツ社会統計学成立前史である。以後, ドイツ社会統計学の形成と発展, そして解体のプロセスが解説されていく。筆者はその糸口をまずリューメリンにもとめ, 彼の理論において「歴史学派の社会観」と「記述のための統計学という観念」とが結びついているのを確認し, そこに実質社会科学方法論としての統計学(統計調査の結果を整理加工し, 対象を記述し, それを体系化する科学)が登場する契機をみている。

 実質社会科学論としてのドイツ社会統計学の立役者はマイヤーである。筆者は, マイヤー, チチェク, フラスケムパーのそれぞれの理論をドイツ社会統計学の成立, 発展, 解体のプロセスに重ね合わせる。マイヤーにあっては, 「大量」と「大量の組織的観察」が, また「人間の社会化過程」が, 社会現象を対象とする統計学の主要な概念である。さらに, 人間の社会化によって生じた新構成態を社会圏(層, 群, 構成体)と呼んでいる。マイヤーはこの社会的集団に統計調査(大量観察)を適用したとき, そこに統計学という学問が成立する, と考えた。そして, 「社会的歴史的背景をもつ社会的集団が対象であるから, 統計資料の整理加工における数学利用は極度に限定的にとらえられている」(p.178)。このように構想された統計学(実際的社会学, 精密社会学)は, 社会政策学, 社会学とともに社会諸科学の総論的部分に位置づけられている(方法論的補助科学ではない)。統計学をこのような総合社会科学として構想したマイヤーは, 理論統計学, 人口統計論, 社会統計論(道徳統計論, 経済統計論, 政治統計論)からなる『統計学と社会学』をまとめようとしたが, その全体を完成することなく世を去った。マイヤーのあとを次いでドイツ社会統計学の中心に存在したのは, チチェクである。チチェクの統計理論の特徴は, 統計的結果学と統計方法論とが並立していること, そして統計利用論が統計調査論に代わって統計学の主たる地位を占めていることである。また「実体科学としての統計学」と「形式科学としての統計学」が矛盾した形で一体化されていたことである。端的に言えば, チチェクの統計学は実質社会科学論から社会科学方法論への過渡的形態であった。

 ドイツ社会統計学を社会科学方法論の観点から再編したのは。フラスケムパーである。ごく大雑把に言えばフラスケムパーの統計学は, 統計的方法を自然現象にも社会現象にも普遍的に適用可能とする普遍科学方法論説に立脚する。したがって, 数理統計学の受容にも寛容であり, マイヤー以来, ドイツ社会統計学の伝統であった数理統計学に対する方法論的自制は脱ぎ捨てられている。フラスケムパーは, この社会科学における数理統計学導入の自制を「認識目標の二元論(記述的な認識目標とストカスティークな認識目標)」と「事物論理と数論理(社会的事実を可算的なものに量化する手続きと数学の演繹論理)」の両面から取り払おうとした。フラスケムパーにはこれらの論理があることからわかるように, 無原則的な普遍科学方法論者ではなく, ましてや手放しの数理統計学の導入論者でもない。確かなのは, フラスケムパーにあるのは方法論としての統計学だけである。

 筆者はこのフラスケムパーの統計学理解が新カント派の認識論に依っていることを指摘している。新カント派とは, 19世紀の後半にカント哲学による自然科学と社会諸科学の方法論的基礎づけを唱え, 20世紀に入ってその反唯物弁証法的科学論の役割を論理実証主義に譲って凋落していった観念論哲学である(リッケルト, ディルタイ)。筆者はこの事実を要約して次のように述べる, 「かくて解体期のドイツ社会統計学を支えた科学方法論は, まさに新カント派のそれであったが, ・・・新カント派の世界観と科学方法論は歴史学派のそれの延長線上にあり, 基本的に同質だといえる。とくに個性記述を社会学の任務とすることにより, 社会発展法則を不可知とする点で両者はいちじるしい共通点をもっている。歴史学派との相互滲透のなかで実質社会科学として形成されたドイツ社会統計学は, その解体と社会科学方法論への再編にあたって歴史学派と本質的に変わらない新カント派の科学方法論に依存した」と(p.189)。

 本稿はドイツ社会統計学の成立, 発展, 解体の過程が, 見事にまとめられている。思想的背景がわかること, とくに標題にあるように, 歴史学派とのかかわりが丁寧に解説されている点に特徴がある。また, この要約では省略したが, ドイツ資本主義の後進性, 領邦国家としての特異性との関係も考察の射程に入っているので, 厚みのある解説になっている。
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