社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

岩崎俊夫「1923/24年ソ連邦国民経済バランス」の作成経緯と方法論-旧ソ連邦統計の歴史の一齣-」『立教経済研究』第63巻第4号,2009年3月

2016-10-17 21:56:49 | 5.ロシアと旧ソ連の統計
岩崎俊夫「1923/24年ソ連邦国民経済バランス」の作成経緯と方法論-旧ソ連邦統計の歴史の一齣-」『立教経済研究』第63巻第4号,2009年3月(『経済計算のための統計-バランス論と最適計画論-』日本経済評論社,2012年所収)

 筆者は本稿でソ連における最初の国民経済全体を俯瞰する統計であった「1923/24年ソ連邦国民経済バランス」(以下,「1923/24年バランス」と略す)の紹介と検討を行っている。「1923/24年バランス」は,ソ連経済の建設を目標としてその舵取りを始めた当時のユニークな統計(経済計算)と評価されている。何よりもそれは経済計画化の実践と直結した統計であり,また社会的再生産の把握を意図した前例のない壮大な統計体系であった。この総合的統計表としてのバランスから革命後の経済理論,国民経済の再生産認識がどのような状況にあったかを,具体的に知ることができる。またこのバランスの基礎を詳細に理解すると,国民経済バランスひいては国民経済計算のその後の展開をあとづける契機となりうる。筆者がこのテーマをとりあげた所以はこの点にある。

 全体の構成は,以下のとおり。「第1節 国民経済バランス作成の画期」「第2節 国民経済バランス作成以前の計画法」
「第3節『1923/24年ソ連邦国民経済バランス』の作成経緯」「第4節『1923/24年ソ連邦国民経済バランス』の批判的検討」。

 主題との関係では,第3節と第4節が中心論点となるが,これら2つの節の理解を深めるために第1節と第2節でソ連における国民経済バランス作成の沿革および国民経済バランス作成以前の計画法の紹介を行っている。

 国民経済バランスの歴史は,3区分されている。第1期は,革命直後から国家電化計画(ゴエルロ計画)を経て1929年12月の農業問題専門家会議までで,この時期の理論的成果は計画法としてのバランス法の確立である。第2期は,1930年代前半から1957年の全ソ統計者会議の直前までである。この時期の特徴は,国民経済バランスの体系化が追及され,再生産論と関連づけた議論が展開されたことである。理論分野では,ストルミリンが独自の表式案を提起し,これをめぐって論争がなされた。第3期は,上記の全ソ統計者会議(1957年)以降である。この会議で国民経済バランスが体系として示され,同時に部門連関バランスと呼ばれる産業連関表と同型の統計表が登場した。

 バランス法が確立するまでには,紆余曲折がある。革命後のソ連ではただちに計画経済への舵取りがなされたものの,その取り組みに歴史的経験なく,計画化の実際は種々の発展路線,計画法が混在する状況であった。国民経済の全般的計画の契機となったのはゴエルロ計画(1918年)である。上記の事情を反映して,そこにはバランス法,専門家の見積もり,変案法などの諸手法が入り混じっていた。また計画理論においても,グローマン,バザロフなどの第一次5カ年計画以降の工業化路線に否定的計画論者が存在し,路線の対立は熾烈であった。単一の全国計画であったゴエルロ計画(それと有機的に結合した国民経済発展統制数字の作成)作成当時のこの状況のなかで,バランス法が計画法の指導的環となり,全国的な工業化路線と結びついて定着するに至る。

 以上の考察をふまえ,筆者は本論である「1923/24年バランス」の作成経緯とその批判的検討に進む。このバランスの作成は,1919年1月の統計家第1回ソビエト大会の席上で,中央統計局長П.И.ポポフが「その全ての部局の作業にもとづき,統計局は国民経済全体および個々のバランスを作成しなければならない」と発言し,国民経済バランスの開発が中央統計局の任務であると提言したことを直接の契機とする。これを受ける形で,1920年,中央統計局に国民経済バランス部が設置され,さらに1921年,ゴスプランが1921/22年国民経済バランス表式を作成してこれを統計数値で埋めるよう中央統計局に依頼した。しかし,中央統計局の作業は期待どおりに進捗しなかった。1924年7月21日,労働国防会議は中央統計局に対し,「1923/24年バランス」を作成し,それをゴスプランに提出するように命じた。しかし,仕事の一般的な概要が「経済生活」紙に紹介されたのは8ヶ月を経過してからであり,国民経済バランスが発表されたのはさらに1年後の1926年であった。筆者はこのバランス作成が遅れた幾つかの理由を指摘した後,その全体的構成とポポフの「序論」の解説を行っている。ポポフ主張の論旨は(1)ケネー経済表とマルクス再生産表式の具体化として国民経済バランスをとらえ,後者の理論の基礎に前者をおき,(2)ケネー経済表とマルクス再生産表式から均衡が再生産の条件であるとする抽象的命題を取り出し,(3)これを独自の「社会経済一般」のカテゴリーに取り込んで,命題のソ連経済への適用を示す,(4)さらに国民経済バランスが発展するソ連経済に成立した均衡条件を反映する課題をもち,(5)バランスは具体的歴史条件下の均衡,あるいは不均衡を研究する手段にとになる,というものである。

 筆者は最後の節で,「1923/24年バランス」の批判的検討を行っている。ここでは,主としてリトシェンコの解説をとりあげ,「1923/24年バランス」が国民経済バランスというより簿記バランスの色彩を強くもち,背後に想定される国民経済の再生産のイメージが単一の企業になぞらえたものになっていること,などを指摘している。筆者はさらに進んでこのバランスの基幹である取引一覧表の部門分類,収入項目,支出項目を紹介し,付随的なものとして固定資本とエネルギーバランスの表,個々の現物バランスが存在することの指摘を行い,利用された生産高の算定方法と土地評価などについて詳しく説明を行っている

 最後にこのバランスの難点が次のように要約されている。第1は社会的生産関係の表示がバランスでなされていないことである。この点は多くの論者が指摘したことで,バランスには社会的見地が欠け,社会的セクターや住民の階級的関係は示されなかった。第2はバランスに蓄積を示す部分がなく,拡大再生産のための蓄積と単なる在庫とが同じカテゴリーに括られたことである。全体として,バランスは国民経済の拡大再生産の数量的表示に成功していない。第3に国民所得概念の理解,社会的生産の生産的領域と不生産的領域との区別の方法が曖昧であった。全体として,生産過程の国民所得の形成,所得の分配と再分配,所得の実現および消費と蓄積の形での国民所得の最終的利用を研究する課題は,当時設定されなかったようである。第4は部門分類に関して,生産手段生産部門と消費財生産部門との2部門分割が徹底せず,農業部門で所有形態による分類がなかった点,固定フォンドが生産的なものと不生産的なものとに分類されなかった点などは,国民経済の再生産を表示するバランスとして不適切であった。第5はこのバランスに労働資源バランスが欠けていた。このため,バランスは労働力の源泉およびその利用に関する問題に応えることができなかった。

 後のソ連の統計学者であるリャブーシキンは以上の欠陥の背景に,国民経済バランスが取引一覧表の枠をでなかったことがあると総括的に指摘した。結局,社会的拡大再生産の過程を数字で特徴づけるべきとする要請は,この国民経済バランスによって果たされず,多くの課題を事後に引き継ぐことになった。
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