社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

是永純弘「経済学における数学的方法の利用について」『思想』418号,1959年

2016-10-18 10:51:43 | 12-1.社会科学方法論(経済学と方法)
是永純弘「経済学における数学的方法の利用について」『思想』418号,1959年

本稿の課題は,経済学研究に数学的方法を利用する基礎的諸条件の解明と,数学的方法の有効性を強調する数理経済学による数学利用論を批判的に吟味することである。

経済学に数学的方法を利用すべきであり,その利用によって経済学の理論が発展すると考える人は多い。しかし,数学的方法適用の基礎的条件を経済学の本来の研究に照らして考察する試みはほとんどない。筆者はそこに問題の所在を捉えている。
諸科学の研究に数学的方法を有効に適用するさいには,譲ることのできない原則がある。個々の経験資料ないし認識材料から一般的関係を導出する研究方法(広義)は,諸科学の方法の統一的原理としての研究様式(一定の「叙述様式」)である。数学的方法はこれに従属し,これを補足する科学的研究操作(解析操作)の一つにすぎない。数学的解析操作は,他の研究手段としての概念操作,実験,統計などと統一されて初めて「研究様式」の資格を部分的に獲得する。

研究操作の一つとしての数学的方法は,概念分析操作の特殊な形態である。そのため,数学以外の諸科学への適用範囲は狭い。なぜなら,数学の固有の対象は現実の諸科学の質的規定性を捨象した量的諸関係と空間的諸形式であり,事物のより複雑な運動形態の研究に果たすその役割は制約されるているからである。

 諸科学における数学的方法利用の一般的な意義とその限界に関する以上の指摘は,経済学研究の場合にも当てはまる。経済学の究極の課題は,歴史的存在としての社会における人間関係であり,その社会の運動法則の解明である。経済学の研究方法=「研究様式」は,この対象の複雑な運動形態によって規定されている。数学的方法は,この規定のもとで補助的に利用される。関連して,統計数字(統計操作)の活用も同様に位置づけられるが,数学的方法とはまた別個の固有の問題を含んでいる。すなわち,統計数字は,社会的経済的な諸量と同じように,数学があつかう超時間的,超空間的次元に属さず,歴史的現象を反映する。筆者は社会的集団のもつこの特有の性格ゆえに,確率論や大数法則の適用が困難な事情を,物理学の事情と対比して,詳しく述べている。

ただし,筆者は数学的方法,統計数字の利用価値の限界に言及しながらも,それらが経済研究における対象の量的側面の把握と分析に一定の意義をもつことまで否定しているのではなく,「数学的方法は・・・理論または方法の認識,とくに量的側面の分析の補助手段として,直接に使用される一方,理論・法則の定式化とその検証の過程における,研究材料としての統計数字の数理的分析として,間接的に,つまり,統計的研究操作との相互関係においても正しく利用されなければならない」(p.56)と述べている。

 論稿の後半では,数学的経済学で数学的方法がどのような論拠で可能とされているかが批判的に考察されている。とりあげられているのは,均衡論基調の数学的経済学(ワルラス,パレート),確率論基調の計量経済学(クライン),公理主義的経済学(モルゲンシュテルン)である。

 ワルラス流の均衡論基調の経済学では,その基本問題は均衡市場価格の数学的決定である。この経済学は「交換,生産,資本化,流通の問題」を,未知数に等しい方程式群の問題におきかえる。市場価格の騰落のメカニズムはこれらの方程式を解く方法,数学的演算によって解明される。数学的方法は,経済学の主要な方法である。ここには少なくとも2つの仮定が前提され,一つは経済社会の状態とその変化が均衡状態をもとにとらえられていること,もう一つは交換現象の原因としての財貨の稀少性または効用を客観的に測定可能とすることである。「均衡論的見地の基礎には,かなり現実性の乏しい仮定があり,その困難を逃避するために,経済理論の課題を経済諸量の函数関係の記述に限定する他に途がなくなると,かえってそのことによって経済理論の『精密性』が保たれたと主張する。・・・もともと経済学の研究手段としての補助的役割をもつにすぎなかった数学的方法を,唯一の主要な研究方法とみなした数学的経済学は・・・かえって経済学から科学的内容を奪い去る」ことになってしまっている(pp.58-9)。

 確率論基調の計量経済学では,クラインモデルを取り上げ,その理論の課題が統計数字に特有の誤差と経済理論による予測誤差の確率論的処理とされ,その内容はモデルの構成要因であるパラメータ(方程式の常数項)の推定と仮説の検定であるとする。計量経済モデル分析の特色は,経済諸量間の諸関係を確率論的図式でとらえることができるとする先験的仮定と統計数字の誤差をすべて測定誤差に還元して確率論に処理できるという仮定のうちにある。しかし,経済現象の量的側面がこうした図式で把握可能とする理論的現実的根拠はなく,統計調査の結果である統計数字に特有の誤差は測定誤差に限られるわけではない。社会的集団現象は,大数法則の適用がきわめて困難な事象である。なぜなら,社会的集団の量的反映としての統計数字の一団は,確率論的に処理しつくすことができない社会的歴史的性格を有している。したがって,統計数字そのものと誤差は,確率変数および偶然的攪乱として単純に処理されえない。この点を無視して,高等な統計解析を駆使しても,経済現象の量的分析に貢献することはできない。

公理主義的経済学は,数学基礎論上の公理主義,数学の公理系構成の論法を,経済理論の構成にそのままもちこむ試みである。代表的経済学者は,モルゲンシュテルンである。筆者はここで公理論から要請される理論体系の無矛盾性と基礎命題の任意性の容認の中身に触れ,それぞれに疑問を呈している。なぜなら公理系的理論の無矛盾性は,理論の真理性の基準になりえないからであり,経済理論を「道具箱」にみたてる論法が経済学者の眼を研究の当面の対象からそらせるからである。経済理論の真理性は歴史的実践によってのみ検証され,その論理展開は経済社会の史的発展の全過程を縮約して反映した基礎的諸範疇とその移行・連関である。公理主義的経済学は,この点を一顧だにしない。
筆者は最後に次のように述べている。「均衡論にもとづく数学的経済学の基礎には,物質を忘れ去った数理物理学者の旧い誤解の名残がうかがえるし,確率論基調の計量経済学には,「経済諸量=確率変数」という「断定」が,納得のゆく理由なしに立てられており,また公理主義的経済学には,数学の一分野ですでに自己破産した形式主義の余燼が今なおくすぶっている。数学及び物理学におけるいわゆる『危機』のこのような産物を,改めて経済学にもちこむ必要は少しもないのではなかろうか」と(pp.62-3)。

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