社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

内海庫一郎「ソヴェト統計理論の現段階」統計研究会訳編『ソヴェトの統計理論』農林統計協会, 1952年

2016-10-17 21:15:41 | 5.ロシアと旧ソ連の統計
内海庫一郎「ソヴェト統計理論の現段階」統計研究会訳編『ソヴェトの統計理論』農林統計協会, 1952年

 旧ソ連の統計学論争は二期に分かれて展開され, 第一期は, 1948-9年の論争で, 切掛けは, 『計画経済』1948年第3号に掲載された無署名論文「統計の分野における理論活動を高めよ」であった。この論文が契機となって, 3つの学術会議が開催された(49年5月の科学アカデミー経済学研究所で開催された「統計の分野における理論活動の不足とその改善策」をテーマとする拡大学術会議, 8月の農業科学アカデミーでのネムチーノフとルイセンコの論争が行われた会議, 10月に科学アカデミー経済学研究所で開かれた「経済学の分野における科学=研究活動の欠陥と任務」に関する拡大学術会議)。第二期の論争は1950年から53年にかけ, 統計学の教科書作成に向けて, 統計学の対象と課題にしぼった議論が繰り広げられ, 1954年3月に開催された「統計学の諸問題に関する科学会議」(ソ連科学アカデミー, 中央統計局, 高等教育省主催)で締めくくられた。本稿は, 上記のうち第一期の論争を紹介したものである。1952年に出版された統計研究会訳編『ソヴェトの統計理論』に補論として掲載されたが, 執筆されたのは恐らくその前年で, 当時はソ連の統計事情が不分明だった中, いわば手探りで, この論稿が作成された。以下は, その要約である。

 ソ連統計学論争については, それに先立つ, とくに戦前の統計界の事情を知っておく必要がある。ひとことで言えば, ソ連では論争にいたるまで英米の数理統計学が支配的であった。ボヤルスキー, ヤストレムスキー, ロマノフスキーを代表とする統計学者がその担い手であり, 多くの教科書は数理統計学のスタイルで構成されていた。筆者は, そうした事情を著作, 論文の一覧によって示している。論争はこうした事情が, 計画経済の運営に支障をきたし, 実践活動への貢献がないという問題提起で始まった。

 筆者は論争の主要論点を, 論文「統計の分野における理論活動を高めよ」にそくして, 列挙しているが, それらは要するにソ連統計学の立ち遅れの確認, その原因究明の必要性(形式主義的=数学的偏向), マルクス・レーニンの古典に学ぶことの推奨, 旧ロシア統計および統計学の再評価であった。

 論点を紹介した後, 筆者はこの国の「形式主義的=数学的偏向」の変遷をたどり, ソ連統計学界の迷走ぶりを回顧している。すなわち, 論争開始前, 英米数理統計学の傾向をもっていたこの国の統計学界には当初「統計死滅論」が登場した。この説は簡単に言えば, 英米数理統計学はもはや「社会主義国」の計画経済のもとでは不要で, 経済計算さえあればよいというものである。しかし, 反動はすぐに訪れ, ボヤルスキーの教科書にみられたような英米数理統計学一色の古典的数理統計学が崇拝された時期があった。そして, 論争直前の時期にハリーニンの統計学説にたちかえり, 取り入れるべきとしながら, イギリスの数理統計学による最新の成果に依拠しなければならないとする主張が前面に出てきた。その代表的業績は, ネムチーノフ『農業統計とその一般理論的基礎』であった。この時期の数理派の特徴は, 一方では統計の経済学からの遊離や統計学の実践からの遊離を戒め, 他方では大数法則を含む近代数理統計学の強力な武器を使うべきであるというもので, これらを統計学の一般理論のなかに固守しようとした点にある。

筆者は論争にいたる前の統計学界の事情をかなり細かくトレースした後, 論争の経過の紹介に入る。紹介は5月会議, ルイセンコによるネムチーノフ批判, 10月会議という順でなされている。5月会議の主要論点は, (1)解決を要する統計学の課題, (2)統計学の立ち遅れの原因究明, (3)数学の役割の問題, (4)ブルジョア統計学批判の問題であった。この段階では, 数理派とこれに反対する論者による主張は平行線であった。論争の第二段階では, いわゆるルイセンコ論争へのネムチーノフの登場により, 経済統計の分野とは一線を画した生物学の分野で行われた。ネムチーノフはここで実質科学に対する統計学の優位の主張を展開したが, ルイセンコはこれを偶然論哲学として反駁した。10月会議は「経済学の分野における科学研究活動の欠陥と任務」というテーマで議論され, オストロヴィチャノフが統計学の課題について再び問題提起し, ネムチーノフが自らの数理的偏向を自己批判した。しかし, オストロヴィチャノフの結語では, ネムチーノフの自己批判はなお不徹底であるとされた。

 最後に筆者は, 1949年の『経済学の諸問題』4号に掲載されたコズロフの「統計学におけるブルジョア客観主義と形式主義に反対して」と題する論文をパラフレーズしている。この論文では長期にわたり断片的に論じられてきた論争の中心問題, すなわち形式主義的=数学的偏向に対する批判が, 論理的かつ体系的にまとめられている。論文の特徴は統計学におけるコスモポリティズム批判の課題を押し出していること, 形式主義的=数学的偏向の傾向を数理派の代表的論者の著書からの豊富な引用でうらづけ, それらにマルクス, レーニンの古典の文言を対峙させていることである。

 筆者はこの論争を評価し, 次のように述べている。この論争で解決に近づいたのは, 「形式主義的=数学的偏向」の批判だけである。それすらも誤りを指摘しただけで, それに対抗する建設的理論の構築は無かった。また, ソ連の計画経済と統計との関係, ソ連の経済統計と統計理論の関係についてこの論争から得られたものは, はなはだ貧弱であった。しかし, この論争を国際的な統計学の環境と比較すると, 数理統計学一辺倒の英米派統計学からの一歩前進であると言える。それだけのことであればドイツ社会統計学のフラスケムパーなどが既に「数論理と事物論理の並行主義」という形で提起している。最後に, 確率論, 数理的方法の問題点の指摘は, この国でもすでにデボーリンなどによって完成された形で定式化されていたことを知るべきで, この点に鑑みると上記の指摘は目新しいものではなく, その限りではこの論争が到達した結論は以前から確立されていた思想が統計学という領域に適用されたとみることができる, との指摘がなされている。
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