あんぺんの間

日常の隙間、ちょっとしたことを書いていく日記です。

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大願成就、の果てに

2008年03月03日 22時24分17秒 | 観劇覚書
「身毒丸 復活」@梅田芸術劇場

竜也さんの身毒丸は絶対見たいと思って、それがやっと叶った。
身毒丸ファイナルのDVDは何回も見てたけど、やっぱり舞台は生で、DVDは単なる記録でしかないと。
初めて見る作品のように衝撃だった。
この日はその前に二本芝居見たけど全然眠くならず集中しすぎてすごく疲れた。
何の曇りもなく面白かった。

竜也さんが確実に変わっていて、しんとくも少年から青年に変化していた。
ファイナルである完成形というか、今回の再演がどうなるのかと思ってたけど、通過点なのだと。
竜也さんが考えながら、役者として白石さんと互角に渡り合っている様子や、役者としてしんとくを演じている様子、つまり力いっぱいやるだけではなくなっているところとかがよく分かって。前に前に進んでいることがすごく、勝手に感動する。カーテンコールでのすっきりした顔を見て、この作品を消化して栄養にしきった感じがする、と勝手に思った。この役が血となり肉となったんだなぁと。
(竜也さんの)初演を見て、ファイナル見て、だとかなり良かっただろうにと思うとやはり悔しい。同じ作品を何度もやれるというのはいいだろうな。見るほうも、同じ話、同じ演出に音楽でもこうまで違うのか!と面白いし。

個人的にしっくりこなかったというか、よくわからなかった演出的なところも生で見て氷解した。「ああそうなんだ」とすんなり入ってきた。かみきりむしとか。
音楽の入り方とかゾクゾクするし、セットとか全体的な構成、仕組みが分かったというか。
アングラだなー、寺山修司な世界だなーと思って、世界が立ち上がっている演出ってこういうことなんだと感覚的に了解できた気がする。
シリアスさと滑稽さのバランスが、おぉ寺山…とか思ってそれも感激。
全然分かってなかった、上っ面しか見えてなかった私は!
と見ながらどんどんドミノ倒しのように「!」が頭のなかに増えていって。
食い入るように見た。

台詞もやっと意味が分かったというか、すごく響いてきて。
美しさゆえに難しく、演じる人が自分の血肉になって振り絞るように発しているのが余計に響く。

特にしんとくが女物の着物を着て、一人で家族あわせをするところで、自然と涙が出る。切な過ぎる。何か竜也さんに憑いている…神がかってるとしか。

余談だが、私が見た回だけかもしれないけど、しんとくがお尻をたたかれるところと、家族あわせで母札を独り占めしているところで観客(複数人)が笑ったことに吃驚した。
色んな見方があっていいけど、私は集中力が途切れそうになった。
撫子にお尻をたたかれるところは、突如唱歌のような無邪気な曲が流れてそりゃおかしいかもしれないけど。
しんとくの幼さの表れと同時に、体は青年なしんとくが撫子にお尻をたたかれるというある種エロい場面で、ハズしたような曲をあててるんだなーアングラだし(違)と思ったから。
「何で笑ったんだろう」と気になる気になる。
それ以上に家族あわせで何で笑う!?
本当にその反応は分からない…気になるよ誰か教えて欲しい。

撫子が丑の刻参りするところや、「僕を妊娠してください」も生で聞けた…。

竜也さんの演技とか身体表現って独特なんだろうと思うので、何か舞台での在り方が独特なんだよな。
全体を通して、もう竜也さんは男なんだーととても感じて、撫子がどうしようもなく女を刺激されるのがよくわかって、切なかった。
最後の撫子を抱くところとか、互角の男と女で、二人が去っていくところも余計すごかった。

何というか、昨日の竜也さんより今日、明日の竜也さんの方が良いんだってつきつけられて、改めてそれはすごいことだと思った。
過去の自分を軽々と飛び越えて行くんだってさ。
ただただ敬服。
本当さーもうただのファンですったら。











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