エクレアのあのねのね

大と為せば、以って大と為すに足らず

















なページ

坂本龍馬と橋下市長とゴーギャン

2012年02月13日 13時44分48秒 | 徒然日記の50
明治維新の立役者、時代の寵児的扱いをされる坂本龍馬。
時代が疲弊すると扱われることが多い英雄であり、彼が前面に出て来る時代は不幸な時代だというのは歴史が証明している。英雄待望論というのはいつの時代もそう。満たされない欲求がそんな形で現れる。

彼自身の功績は薩長同盟を取り持ったのが一番かと思う。
時代あり方は薩長と坂本龍馬の三者三様で違っていたが革新、保守の上を行って国を一つにして世界と戦うという志が上回ったと理解している。

明治維新が起こり新しい時代はやってきたが彼自身は新しい政治には関与しようとしなかった。
「たられば」はないが暗殺されなかったとしても維新以降の歴史に政治の世界で名を残すことはなかったと彼の行動からは見て取れる。

地方の一市長が今世間の人気を背負って日本をかき回している。民意なら受け止めるまでだが、彼のやりようは坂本龍馬に似て非なるもの。
彼自身が引用して「船中八策」のようなものを公表しているが、彼のやりようは世間をかき回しているだけ。

例えば龍馬は世界と戦うためには藩のレベルではダメ。国家としてまとまらないと戦えないと考えた。一市長は国では無理。道州制のように小さなコミュニティでと主張。

そして自身は前面には立たず国政には立たず市政が最後と言い張る。これは院政を国政レベルでやろうと考えているのか、引っ掻き回すだけ引っ掻き回してあとは知らぬ存ぜぬを決め込もうとしているのかに私の目には映る。

前者は龍馬とは違い、後者は龍馬とそっくり。

坂本龍馬を好きだった時代は前者の考えを指示していたから。大人になって歴史を考える力が付いてくると考えてしまうのは彼の政治に対する関心の無さで、歴史で語られるほどの影響力は発揮していない事実にぶつかるから。
高校野球でピッチャーで4番だったけどプロに入ったらサッパリみたいなね。

何でもそう。言うは易し、継続は難し。
志は揺らぐし時代も移っていく。不変でいられないのは致し方ない。

ゴーギャンは言った。
「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」
ゴーギャンは楽園を見つけたと言いながら楽園で自殺して見せる(死ねなかったけど)矛盾をやってのけている。

彼の知識さえ受け取りゴーギャン以上に我々が進化しているのなら・・・。
いつか楽園にたどり着くことは出来るんだろか。
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