2012年7月、ドイツ南部~東部を回って来ました。
気候は北海道に近いように思います。
日が当たると暑いのですが、日陰は涼しかったです。
初日、フランクフルトから1時間半ほどのルードヴィッヒハーフェンに泊まりました。
夕食後、添乗員の0さんがホテル近くのショッピングセンターに案内してくれました。
添乗員さんがショッピングセンターに案内してくれるって、よくあることなのでしょうか?
初めての経験でした。ありがとう、0さん。
ショッピングセンター近くに1ユーロショップがありました。
ショッピングセンター内スーパー。
ハム・チーズ・ワインの品揃えがすごかった。
果物や野菜も豊富でした。
卵になぜ色が付いているの?
ルードヴィッヒハーフェンのホテルからハイデルベルクへは30分で着きます。
まだ観光客がいない中、ハイデルベルク城を見ることができて良かったです。
13世紀前半に建造されたそう。
ルートヴィヒ1世がヴォルムス司教ハインリヒから獲得したとウィキにありました。
ゴシックやルネッサンンス様式が混在しているそうです。
ふわっふわっの花が咲いていました。何の木?
旧市街。
アルテ橋=古い橋(カール・テオドール橋)。
洪水で流されたりして何度も建て直しされ、現在の橋は8番目の橋だそう。
ハイデルベルクから2時間半でローデンブルグに着きました。
13世紀頃最初の城壁が築かれて以降、徐々に拡大されてきたというローデンブルグ市内。
マルクト広場。
マイスタートゥルンク(マイスタートゥルンクとは市長の一気のみの意)の仕掛け時計。
右に老市長ヌッシュ左にティリー将軍の仕掛け人形が現れる。
将軍がラッパを吹くとそれに応えて老市長は手にした大杯を口に傾ける。
1631年、プロテスタントとカトリックの新旧2つのキリスト教の摩擦から起きた30年戦争で、プロテスタント側についたローデンブルクはカトリック側のティリー将軍に占拠された。
ティリー将軍が「この大ジョッキのワインを一気に飲み干すものがいたら、町を救おう」と言うのに応え、老市長ヌッシュは10分間で3.25リットル入りの大杯を見事飲み干し町は救われたという話にちなんだものだそう。
このとき老市長は43歳だったとか…(いや老って)。
シュネーバルとは英語でスノーボール。
クッキー生地をひも状にしたものをくるくる丸めて揚げたもの。
ローデンブルグにしか小型のものがないそうですので、是非食べてみてください。
美味しいかどうかは…。
綺麗な風景が続きました。
風車や太陽光発電設備のある民家がたくさんありました。
キャンプも盛んだそう。
自転車やオートバイも多かったです。
日本でいう高速道路のパーキング的な所のトイレはデポジット制です。
75セント入れると50セント分のデポジットカードが戻り、併設の売店で何か買うとその分値引きされる仕組みでした。
便器中央からクリーナーがせり出してきて、何と便座が一周することで綺麗になります。
売店で売っていました。
ぬいぐるみ。可愛いーっ!
ローデンブルグから4時間半でフュッセンです。
ユーロパークインターナショナルホテルのナイトツアーに参加しました。
ホーエンシュヴァンガウ城のライトアップ。
ノイシュバンシュタイン城のライトアップは写真に写らなかった><。
ドライバーさん。日本語が上手。
フュッセンのホテルから10分でノイシュバンシュタイン城(英語でニュー・スワン・シュタイン城)に着きました。
やはりまだあまり観光客がいない中、ゆっくり観光することができました。
マリエン橋から。こんな写真が自分で撮れるなんて…。
バイエルン王ルートヴィヒ2世によって19世紀に建築されたそうです。
ホーエンシュヴァンガウ城が見えます。
ノイシュバンシュタイン城の写真を撮ったマリエン橋。
ノイシュバンシュタイン城入り口。ここから写真×。
102日しか住めずにルートヴィヒ2世が亡くなった1886年に工事は中止されたそうで内部は未完成ですが、ヴィーナスの洞窟と名付けられた人工の洞窟など見応えがありました。
戻りは馬車に乗るのも楽しい。
自由時間にカフェしました。ケーキとコーヒーで4ユーロくらい。
民芸品店。
フェルラーのタオル。日本の半額以下です。
ゾーリンゲンのナイフ類も日本の半額くらいでした。
同じブランドでもドイツで作られているものにはGermanyと刻印されているそうです(ゾーリンゲンでも中国で作っているものも多いそうでした)。
ノイシュバンシュタイン城から30分でヴィースへ着きました。
ヴィース巡礼教会。
写真×だったのが残念です。内装は、外観からは想像できない。
1745年から1754年にかけて建設されたそうです。
ウィキによれば、ロココ様式の内部の装飾はヨーロッパ随一と言われているそうで、特にその天井画は「天から降ってきた宝石」とも讃えられているそうです。
こおんな景色の中に建っています。
ヴィース巡礼教会から4時間でニュルンベルグへ着きました。
フラウエン教会(聖母教会)。
ウィキによれば、カール4世の1356年金印勅書(皇帝即位後第1回目の帝国議会をニュルンベルクで開催することと定められ、この慣例は1543年まで続けられた)を記念して建設されたゴシック建築の教会。
そのときの様子が仕掛け時計になっているそうですが、見られませんでした。
ニュルンベルクのホテルから1時間でバンベルクへ着きました。
無傷に保存された歴史的な市街地で、1993年にユネスコの世界遺産に登録されたそうです。
本当に綺麗な景観でした。
バンベルク大聖堂の裏側。裏側の上に工事中><。
ウィキによれば、現存する後期ロマネスク様式の大聖堂は13世紀に完成したものだそうです。
新宮殿(1698年-1704年)の薔薇園からは聖ミヒャエル修道院が見える。
バンベルクから4時間でドレスデンに着きました。
ブラウエン教会・ツヴィンガー宮殿に行きましたが、デジカメの不具合につき写真がありません><。
ドレスデンからベルリンまで2時間45分で着きました。
明日はベルリン観光です。
ベルリンテレビ塔。
ウィキによれば、東ドイツによって東ベルリンだった地区に1965年から1969年にかけて建設されたそうです。
ブランデンブルク門。
フリードリヒ・ヴィルヘルム2世により1788年から1791年に建設さらた古代ギリシャ風建築だそうです。
ウィキによれば、1961年に東ドイツが国民流出を防ぐためベルリンの壁を建設すると、門の前を壁が通る形となったそうです。
この水路あたりにも壁があったそうです。
ベルリン大聖堂。
ウィキによれば、もともとの教会がヴィルヘルム2世の命令によって1905年に建て替えられ現在の姿となったそうです。
ベルガモン博物館。
かつての東ベルリンに位置する博物館島にあり、「ペルガモンの大祭壇」を始めとするギリシャ・ローマ・中近東のヘレニズム美術品・イスラム美術品などが展示されています。
ちゃんと古代(ギリシャ・ローマ)博物館・中近東博物館・イスラム博物館に分かれているのですが、もうね、広くてたくさんの収蔵物があって、写真OKだったのですが、うまく撮れていませんでした。
ベルガモン博物館の名前の由来になった展示・ペルガモンの大祭壇。
後姿が綺麗だったのでパチリ。
ベルリンの壁。
この後半日の自由時間は、主にデパートKaDeWe(カーデーヴェー)の食品売り場で過ごしました。
KaDeWe(カーデーヴェー)、品揃えは抜群の上にイートインもたくさんありました。
ここで乾燥きのこを買いました。
買ったのはボルチーニ=ヤマドリタケですが、モリーユ=アミガサタケもありました。
帰国してから調べたら、どちらも日本では高額で販売されていました。
キャビアの瓶詰めも買いました。
3~4ユーロと安過ぎ…。
やはり帰国してから調べたら、魚の卵なら何でもキャビアと呼ぶのですね…私が買ってきたのはランプフィッシュの卵でした><。
チーズは何を買ってもはずれなしかも。
ワインやバルサミコ酢、チョコレートなどもお買い上げ。
楽しかったです。
ベルリンのホテルからワイマールまで4時間で着きました。
小さい三角の弦楽器?
ゲーテとシラーの像。
ゲーテ(1749年-1832年)はドイツを代表する文豪であり、 詩人・劇作家・小説家・自然科学者・政治家・法律家。
シラー(1759年-1805年)はゲーテと双璧をなすドイツ古典主義の代表で、詩人・歴史学者・劇作家・思想家。
ゲーテ博物館。
公園の素敵なモニュメント…。
ワイマールから4時間30分でフランクフルトに着きました。
ドライバーさん、ホテルがなかなか見つからなくて、フランクフルトに入ってからぐるぐるしてました。
30分ほど経ったとき、添乗員さんが何とタクシーを呼び、タクシーの先導でバスはホテルに着きました。
なんか得がたい面白い経験でした。
フランクフルトでの夜も、添乗員さんは希望者をホテルから徒歩15分くらいのスーパーまで案内してくれました。
旧東ドイツ地域は空爆で破壊されてしまい、歴史的な建物は破壊された建物の一部を取り入れながら再建築されているそうですが、民家はマンションに取って代わられ近代的な町になっていました。
一方、旧西ドイツ地域は空爆がなかったため、かつての建物や町並みが残って美しかったです。
格安で37名も参加したツアーでしたが、ベテラン添乗員0さんの魔力で、集合は毎回誰一人時間に遅れず、ホテルチェックイン時もトイレ休憩時もスムーズでした。
これにて<ドイツ旅行 ダイジェスト>終了。
<ドイツ旅行 エア・ホテル・食事はこちら>
気候は北海道に近いように思います。
日が当たると暑いのですが、日陰は涼しかったです。
初日、フランクフルトから1時間半ほどのルードヴィッヒハーフェンに泊まりました。
夕食後、添乗員の0さんがホテル近くのショッピングセンターに案内してくれました。
添乗員さんがショッピングセンターに案内してくれるって、よくあることなのでしょうか?
初めての経験でした。ありがとう、0さん。
ショッピングセンター近くに1ユーロショップがありました。
ショッピングセンター内スーパー。
ハム・チーズ・ワインの品揃えがすごかった。
果物や野菜も豊富でした。
卵になぜ色が付いているの?
ルードヴィッヒハーフェンのホテルからハイデルベルクへは30分で着きます。
まだ観光客がいない中、ハイデルベルク城を見ることができて良かったです。
13世紀前半に建造されたそう。
ルートヴィヒ1世がヴォルムス司教ハインリヒから獲得したとウィキにありました。
ゴシックやルネッサンンス様式が混在しているそうです。
ふわっふわっの花が咲いていました。何の木?
旧市街。
アルテ橋=古い橋(カール・テオドール橋)。
洪水で流されたりして何度も建て直しされ、現在の橋は8番目の橋だそう。
ハイデルベルクから2時間半でローデンブルグに着きました。
13世紀頃最初の城壁が築かれて以降、徐々に拡大されてきたというローデンブルグ市内。
マルクト広場。
マイスタートゥルンク(マイスタートゥルンクとは市長の一気のみの意)の仕掛け時計。
右に老市長ヌッシュ左にティリー将軍の仕掛け人形が現れる。
将軍がラッパを吹くとそれに応えて老市長は手にした大杯を口に傾ける。
1631年、プロテスタントとカトリックの新旧2つのキリスト教の摩擦から起きた30年戦争で、プロテスタント側についたローデンブルクはカトリック側のティリー将軍に占拠された。
ティリー将軍が「この大ジョッキのワインを一気に飲み干すものがいたら、町を救おう」と言うのに応え、老市長ヌッシュは10分間で3.25リットル入りの大杯を見事飲み干し町は救われたという話にちなんだものだそう。
このとき老市長は43歳だったとか…(いや老って)。
シュネーバルとは英語でスノーボール。
クッキー生地をひも状にしたものをくるくる丸めて揚げたもの。
ローデンブルグにしか小型のものがないそうですので、是非食べてみてください。
美味しいかどうかは…。
綺麗な風景が続きました。
風車や太陽光発電設備のある民家がたくさんありました。
キャンプも盛んだそう。
自転車やオートバイも多かったです。
日本でいう高速道路のパーキング的な所のトイレはデポジット制です。
75セント入れると50セント分のデポジットカードが戻り、併設の売店で何か買うとその分値引きされる仕組みでした。
便器中央からクリーナーがせり出してきて、何と便座が一周することで綺麗になります。
売店で売っていました。
ぬいぐるみ。可愛いーっ!
ローデンブルグから4時間半でフュッセンです。
ユーロパークインターナショナルホテルのナイトツアーに参加しました。
ホーエンシュヴァンガウ城のライトアップ。
ノイシュバンシュタイン城のライトアップは写真に写らなかった><。
ドライバーさん。日本語が上手。
フュッセンのホテルから10分でノイシュバンシュタイン城(英語でニュー・スワン・シュタイン城)に着きました。
やはりまだあまり観光客がいない中、ゆっくり観光することができました。
マリエン橋から。こんな写真が自分で撮れるなんて…。
バイエルン王ルートヴィヒ2世によって19世紀に建築されたそうです。
ホーエンシュヴァンガウ城が見えます。
ノイシュバンシュタイン城の写真を撮ったマリエン橋。
ノイシュバンシュタイン城入り口。ここから写真×。
102日しか住めずにルートヴィヒ2世が亡くなった1886年に工事は中止されたそうで内部は未完成ですが、ヴィーナスの洞窟と名付けられた人工の洞窟など見応えがありました。
戻りは馬車に乗るのも楽しい。
自由時間にカフェしました。ケーキとコーヒーで4ユーロくらい。
民芸品店。
フェルラーのタオル。日本の半額以下です。
ゾーリンゲンのナイフ類も日本の半額くらいでした。
同じブランドでもドイツで作られているものにはGermanyと刻印されているそうです(ゾーリンゲンでも中国で作っているものも多いそうでした)。
ノイシュバンシュタイン城から30分でヴィースへ着きました。
ヴィース巡礼教会。
写真×だったのが残念です。内装は、外観からは想像できない。
1745年から1754年にかけて建設されたそうです。
ウィキによれば、ロココ様式の内部の装飾はヨーロッパ随一と言われているそうで、特にその天井画は「天から降ってきた宝石」とも讃えられているそうです。
こおんな景色の中に建っています。
ヴィース巡礼教会から4時間でニュルンベルグへ着きました。
フラウエン教会(聖母教会)。
ウィキによれば、カール4世の1356年金印勅書(皇帝即位後第1回目の帝国議会をニュルンベルクで開催することと定められ、この慣例は1543年まで続けられた)を記念して建設されたゴシック建築の教会。
そのときの様子が仕掛け時計になっているそうですが、見られませんでした。
ニュルンベルクのホテルから1時間でバンベルクへ着きました。
無傷に保存された歴史的な市街地で、1993年にユネスコの世界遺産に登録されたそうです。
本当に綺麗な景観でした。
バンベルク大聖堂の裏側。裏側の上に工事中><。
ウィキによれば、現存する後期ロマネスク様式の大聖堂は13世紀に完成したものだそうです。
新宮殿(1698年-1704年)の薔薇園からは聖ミヒャエル修道院が見える。
バンベルクから4時間でドレスデンに着きました。
ブラウエン教会・ツヴィンガー宮殿に行きましたが、デジカメの不具合につき写真がありません><。
ドレスデンからベルリンまで2時間45分で着きました。
明日はベルリン観光です。
ベルリンテレビ塔。
ウィキによれば、東ドイツによって東ベルリンだった地区に1965年から1969年にかけて建設されたそうです。
ブランデンブルク門。
フリードリヒ・ヴィルヘルム2世により1788年から1791年に建設さらた古代ギリシャ風建築だそうです。
ウィキによれば、1961年に東ドイツが国民流出を防ぐためベルリンの壁を建設すると、門の前を壁が通る形となったそうです。
この水路あたりにも壁があったそうです。
ベルリン大聖堂。
ウィキによれば、もともとの教会がヴィルヘルム2世の命令によって1905年に建て替えられ現在の姿となったそうです。
ベルガモン博物館。
かつての東ベルリンに位置する博物館島にあり、「ペルガモンの大祭壇」を始めとするギリシャ・ローマ・中近東のヘレニズム美術品・イスラム美術品などが展示されています。
ちゃんと古代(ギリシャ・ローマ)博物館・中近東博物館・イスラム博物館に分かれているのですが、もうね、広くてたくさんの収蔵物があって、写真OKだったのですが、うまく撮れていませんでした。
ベルガモン博物館の名前の由来になった展示・ペルガモンの大祭壇。
後姿が綺麗だったのでパチリ。
ベルリンの壁。
この後半日の自由時間は、主にデパートKaDeWe(カーデーヴェー)の食品売り場で過ごしました。
KaDeWe(カーデーヴェー)、品揃えは抜群の上にイートインもたくさんありました。
ここで乾燥きのこを買いました。
買ったのはボルチーニ=ヤマドリタケですが、モリーユ=アミガサタケもありました。
帰国してから調べたら、どちらも日本では高額で販売されていました。
キャビアの瓶詰めも買いました。
3~4ユーロと安過ぎ…。
やはり帰国してから調べたら、魚の卵なら何でもキャビアと呼ぶのですね…私が買ってきたのはランプフィッシュの卵でした><。
チーズは何を買ってもはずれなしかも。
ワインやバルサミコ酢、チョコレートなどもお買い上げ。
楽しかったです。
ベルリンのホテルからワイマールまで4時間で着きました。
小さい三角の弦楽器?
ゲーテとシラーの像。
ゲーテ(1749年-1832年)はドイツを代表する文豪であり、 詩人・劇作家・小説家・自然科学者・政治家・法律家。
シラー(1759年-1805年)はゲーテと双璧をなすドイツ古典主義の代表で、詩人・歴史学者・劇作家・思想家。
ゲーテ博物館。
公園の素敵なモニュメント…。
ワイマールから4時間30分でフランクフルトに着きました。
ドライバーさん、ホテルがなかなか見つからなくて、フランクフルトに入ってからぐるぐるしてました。
30分ほど経ったとき、添乗員さんが何とタクシーを呼び、タクシーの先導でバスはホテルに着きました。
なんか得がたい面白い経験でした。
フランクフルトでの夜も、添乗員さんは希望者をホテルから徒歩15分くらいのスーパーまで案内してくれました。
旧東ドイツ地域は空爆で破壊されてしまい、歴史的な建物は破壊された建物の一部を取り入れながら再建築されているそうですが、民家はマンションに取って代わられ近代的な町になっていました。
一方、旧西ドイツ地域は空爆がなかったため、かつての建物や町並みが残って美しかったです。
格安で37名も参加したツアーでしたが、ベテラン添乗員0さんの魔力で、集合は毎回誰一人時間に遅れず、ホテルチェックイン時もトイレ休憩時もスムーズでした。
これにて<ドイツ旅行 ダイジェスト>終了。
<ドイツ旅行 エア・ホテル・食事はこちら>